アンリ4世(在位1589~1610)
・
アンリ3世が暗殺され
ヴァロワ朝が途絶えると、フランス王に即位し、ブルボン朝の始祖になりました。
・当時旧教徒と新教徒が戦っていた
ユグノー戦争を終結させるため、自らユグノーからカトリックに改宗します。
・1598年、王令として
ナントの勅令を発布します。これにより、新教徒と旧教徒に同等の権利が認められ、信仰の自由が生まれました。
・ナントの勅令によってユグノー戦争は終結し、アンリ4世は中央集権化や海外への拡大を行いますが、1610年にカトリック教徒に暗殺されます。
ルイ13世(在位1610~1643)
・先王アンリ4世の暗殺後に即位し、第2代国王としてブルボン朝の
絶対王政を確立します。
・王権が強化され、1614年に招集された
三部会を翌年1615年に解散し、その後三部会は1789年のフランス革命前まで開かれませんでした。
・宰相
リシュリューを重用し、ハプスブルク家妥当のために新教側にたって
三十年戦争に介入しました。
三部会は1302年にフィリップ4世が設立したフランスの身分制議会のことで、主に新規課税の是非をめぐって開かれていました。
ルイ14世(在位1643~1715)
・ブルボン朝第3代国王です。
・幼少期に即位し、
王権神授説をもとに、フランス絶対王政の
最盛期の王となります。「
朕は国家なり」という有名な言葉を残し、
太陽王と言われます。
・リシュリューの跡を継いだ宰相
マザランを重用し、三十年戦争終結後の
ウエストファリア条約(1648年)で領土を大幅に拡大します。
・財務総監に
コルベールを任命し、
重商主義政策をとります。
・
バロック建築の代表となる
ヴェルサイユ宮殿を建てます。
・1685年ナントの勅令を廃止し、絶対王政を強化します。
・孫のフェリペの継承権を主張し、
スペイン継承戦争に参戦します。
ルイ15世(在位1715~1774)
・ブルボン朝第4代国王です。
・度重なる海外戦争により、フランスの財政が傾いていきます。
・この時代、
啓蒙思想が発達し、
ヴォルテールの『哲学書簡』、
モンテスキューの『法の精神』、
ルソーの『社会契約論』など、その後のフランス革命につながる思想が生まれました。
ルイ16世(在位1774~1792)
・ブルボン朝第5代国王です。
・マリア・テレジアの娘、
マリー・アントワネットと結婚します。
・1778年に
アメリカ独立戦争を支援したため、フランスの国家財政が破綻します。
・財政健全化のため、
テュルゴーや
ネッケルを重用しますが、三部会招集後反発にあい、特権身分の課税が失敗に終わります。
・国王、第一身分(聖職者)、第二身分(貴族)、第三身分(平民)という
アンシャンレジームに批判がおこります。
・1789年7月、
バスティーユ牢獄襲撃をきっかけに
フランス革命が勃発します。
・
ヴェルサイユ行進でパリに連行されます。
・1791年、国王はオーストリアへの亡命を図り
ヴァレンヌ事件を起こし国民の信頼を失います。
・1792年、山岳派がサンキュロットと義勇兵に呼びかけ、王の居城テュイルリー宮殿を襲うという
八月十日事件が発生。その後国王一家はタンプル塔に幽閉され、王権が停止され、
第一共和制が始まります。
・1793年、国民公会による裁判で国民への敵対行為の名目で死刑判決を受け、ギロチンで処刑されます。
ルイ18世(在位1814~1824)
・ナポレオン失脚後、
復古王政としてブルボン朝を復活させました。
・処刑されたルイ16世の弟です。
・この時代、
タレーランが
正統主義を唱え、フランスの領土保全を図ります。
・ナポレオンが
百日天下で戻った時には亡命し、ナポレオンの流刑後復位します。
シャルル10世(在位1824~1830)
・復古王政ブルボン朝の最後の国王です。
・ルイ18世の弟です。
・貴族や聖職者などを保護し、亡命貴族を援助するなど、反動政治を行います。
・1830年国内の不満をそらすため、
アルジェリア出兵を行います。
・同年、自由主義者が多かった議会を解散し、地主以外の参政権を廃止、言論統制を行うとした
七月勅令を発布します。
・七月勅令に反発した市民が蜂起し、
七月革命が勃発。シャルル10世はイギリスに亡命し、ブルボン朝は途絶えました。
・七月革命の結果、オルレアン家出身の
ルイ=フィリップが王位につき、
七月王政が始まります。
・ルイ=フィリップも即位後反動政治を行ったため、
二月革命が起こり、王は亡命し、
第二共和政が始まりました。