モンゴル帝国の成立と4ハン国で押さえておきたいポイント
※赤字部分が問題に出そうな部分です。赤色の暗記シートなどで隠して見てください。
モンゴル民族とチンギス=ハン
・
モンゴル民族とは、モンゴル高原に住んでいた
アルタイ語系の遊牧民のことである。モンゴル民族は様々な部族に分かれており、
クリルタイという集会で
ハン(汗)という君主の選定や遠征の決定などを行った。
・1162年頃に生まれた
テムジンという人物が次第に有力となり、モンゴルの全部族を統一していった。
1206年、クリルタイによって君主に選出されたテムジンは、
チンギス=ハンの称号を与えられ、征服活動をはじめた。
金や
西夏を攻撃し、
ホラズムを征服後、ユーラシア大陸に大帝国を建設した。広大なモンゴル帝国は
千戸制という軍事・行政組織で運営され、西夏遠征途上でチンギス=ハンが病死した後も帝国は続いた。
チンギス=ハン没後のモンゴル帝国
・チンギス=ハン没後、その子孫によってモンゴル帝国の拡大が続けられた。
■トゥルイ
チンギスの
4子。兄
オゴタイをハンに即位させ、
金への遠征途上で病死した。
■オゴタイ=ハン
チンギスの
3子。第2代皇帝
太宗(在位1229〜1241)となる。首都
カラコルム建設や
駅伝制整備を行い、内政を整え、対外的には
1234年に
金を滅ぼし、
バトゥに
西征を命じた。
■バトゥ
チンギスの
孫。長男ジュチの子。
オゴタイ=ハンに命じられ
西征を行い、1241年に
ワールシュタットの戦いで勝利した。オゴタイの死去で帰国したのち、
南ロシアに
キプチャク=ハン国を建てた。
■グユク=ハン
モンゴル帝国の第3代皇帝(在位1246〜1248)。
オゴダイの長男。
■モンケ=ハン
トゥルイの子。第4代
憲宗(在位1251〜1259)となる。西征に従軍後即位し、
フビライに
チベット・雲南・ベトナムを遠征させ、
フラグに
アッバース朝を滅ぼさせた。
南宋を攻撃するための遠征中に病死した。
■フビライ=ハン
トゥルイの子で、モンケ=ハンの弟。
大理国・チベット征服後にモンゴル帝国大5代皇帝
世祖(在位1260〜1294)となり、1264年に大都に遷都後、
1271年に国号を
元とした。
1279年には
南宋を滅ぼして中国を統一し、
高麗やミャンマーの
パガン朝を征服し、元の領土を拡大した。
日本への
元冠や
ジャワ、
ベトナムへも侵攻したが、失敗した。
■アリクブケ
トゥルイの子で、フビライの弟。フビライの即位に反対しカラコルムで即位し、フビライに反抗したが、1264年に降伏した。
■ハイドゥ
オゴタイ=ハンの孫。モンゴル帝国のハン位が、4代モンケ、5代フビライとトゥルイの一族に占められていたことをよく思わず、フビライの即位に反対し
ハイドゥの乱(1266〜1301)を起こした。
■フラグ
トゥルイの第3子。兄
モンケ=ハンの命で
1258年に
バグダードを占領し、
アッバース朝を滅亡させた。その後
イル=ハン国を建国した。
4ハン国
・チンギス=ハンの一族は、次第に各地に国家を建設し、
ハイドゥの乱が40余年続いた結果、モンゴル帝国は分裂した。
■オゴタイ=ハン国(1225頃〜1310)
オゴタイが
ジュンガリア地方に建国(都:
エミール)。第4代
ハイドゥがキプチャク・チャガタイ両ハン国と同盟し、元に反乱。
■チャガタイ=ハン国(1227〜14世紀後半)
チャガタイが
イル・シル川流域に建国(都:
アルマリク)。
14世紀に
イスラーム化。その後分裂し、
西チャガタイ=ハン国から
ティムールが出た。
■キプチャク=ハン国(1243〜1502)
バトゥが
南ロシアに建国(都:
サライ)。モンゴル国家の中で早くからイスラーム化し、
14世紀に全盛期となる。
モスクワ大公国が領土内から独立し、衰退した。
■イル=ハン国(1258〜1353)
フラグがイランに建国(都:
タブリーズ)。元と友好関係を結び、キプチャク・チャガタイ両ハン国と対立した。第7代
ガザン=ハンの時代にイスラーム教が
国教となり、『
集史』を著した
ラシード=ウッディーンを宰相に登用し、繁栄した。