はじめに
ローマ帝国は、長い間、高度な文明を築いた国家として存在していました。
このテキストでは、そのローマ帝国に君臨した主要な皇帝たちを、整理してみます。
オクタヴィアヌス(前63~後14)
・
カエサルの養子で、カエサル亡き後
アントニウス、
レピドゥスとともに
第二回三頭政治を行う。
・前31年に
アントニウス・クレオパトラ率いるエジプト軍を
アクティウムの海戦で粉砕し、エジプトの
プトレマイオス朝を滅亡させる。その後、エジプトを併合し、全地中海をローマの領土にする。
(アクティウムの海戦)
・前27年には、その功績を認められ元老院から
アウグストゥス(尊厳者)の尊称をうける。オクタヴィアヌスは共和制の形式を尊重する姿勢をとったため、自分は第一の市民という意味の
プリンケプスを自称した。しかし、実際には様々な要職の実権を握ったことで、事実上の帝政のはじまり、
初代ローマ帝国皇帝となった。
・アウグストゥスから、五賢帝の時代までの200年間を
パックス=ロマーナ(「ローマの平和」)という。
ネロ(在位54~68)
・ストア派哲学者
セネカに学び、当初は善政を行う。しかしその後セネカに自殺を強要し、死に至らしめた。
・64年にローマで大火が起こった際に、キリスト教徒にその責任を負わせる。キリスト教徒迫害のはじまり。キリストの使徒
ペテロや
パウロはこの時に殉教したと伝えられる。
ネルヴァ(在位96~98)
・五賢帝の最初の皇帝。
・治世が短く、養子トラヤヌスに全権をゆずる。
トラヤヌス(在位98~117)
・五賢帝の一人。スペイン出身で、当時ローマ帝国
初の属州出身の皇帝。
・
ダキア(ルーマニア)を平定し属州とし、東のパルティアを破り、一時メソポタミアを征服し、ローマ帝国の
最大版図を実現。
ハドリアヌス(在位117~138)
・五賢帝の一人。拡大する帝国の周辺防備を固めるために、ブリタニア(イギリス)にハドリアヌスの長城を建設。
・内政や属州の発展にも務めた皇帝。
(ハドリアヌスの長城)
アントニヌス=ピウス(在位138~161)
・五賢帝の一人。ローマ帝国の財政改革と、貧民救済事業に務めた。
マルクス=アウレリウス=アントニヌス(在位161~180)
・最後の五賢帝。学問を好み、哲人皇帝とも呼ばれ、ストア派の理念に基づく『
自省録』という作品を残した。
・異民族の侵入から帝国を守るために、生涯の多くを陣中で過ごした。
・中国の『
後漢書』に出てくる
大秦王安敦はこのマルクス=アウレリウス=アントニヌスだと言われている。
カラカラ(在位211~217)
・212年に
アントニヌス勅令を出し、ローマ帝国の全自由民に
ローマ市民権を与えた。この時以降、ローマ人と外人の区別がなくなり、ローマは世界帝国になっていく。
・本名はアントニヌスだが、好んできていたガウン(カラカラ)が由来となり、カラカラ帝と呼ばれる。
ヴァレリアヌス(在位253~260)
・軍人皇帝時代の皇帝。
・ササン朝ペルシアとの戦争の際、エデッサの戦いに敗れ、ササン朝の
シャープール1世の捕虜となる。
ディオクレティアヌス(在位284~305)
・最後の軍人皇帝。
・軍人皇帝時代のローマの混乱をおさめ、
ドミナートゥス(専制君主制)を開始。
・首都を
ニコメディアに遷都。
・ローマの伝統的神々の信仰復活と皇帝崇拝を強化するため、キリスト教に対する最後の大迫害を実施。
コンスタンティヌス(在位306~337)
・313年に
ミラノ勅令を発布し、
キリスト教を公認。
・325年には
ニケーア公会議を開き、
アタナシウス派を正統教義に認定。異端となった
アリウス派は追放され、以後ゲルマン民族に伝道される。
・330年には、帝国の首都を
コンスタンティノープル(ビザンティウム)に遷都。
・帝国を再度統一して官僚制の整備や
コロヌス(農奴的小作人)の移転を禁止し、職業や身分の固定化を実施。
・
ソリドゥス金貨を鋳造し、商工業を発展させる。
テオドシウス(在位379~395)
・392年に、ローマ帝国で公認された
キリスト教を国教化。
・その後395年にローマ帝国を東西に分け、東ローマ帝国を長子アルカディウスに、西ローマ帝国を次子ホノリウスに譲る。