征夷大将軍
源頼朝、
足利尊氏、
徳川家康など、幕府を作った人物はみな
征夷大将軍という位を朝廷からさずかっています。
この
征夷大将軍、「幕府をひらくために必要な位なんだろうなー」と思うかもしれませんが、実は、そのはじまりは幕府とはまったく関係のないところからでした。
その始まりをみてみましょう。
東北地方の反乱
桓武天皇の時代に東北地方の自治を行っていた
多賀城が、蝦夷(えみし)出身の伊治呰麻呂(いじのあざまろ)の反乱によって大混乱におちいります。自治を行っていた役所のことを「
鎮守府」といいます。
※蝦夷(えみし)とは、当時東北地方に住んでいた民族のことで、北海道にいた人たちをさす蝦夷(えぞ)とは、時代も読み方も違いますので注意しましょう。
これを制圧するために桓武天皇は
征夷大将軍と呼ばれる、一時的な将軍を任命して軍隊を作ります。史実に残る中で、一番最初に征夷大将軍に任命されたのは「
大伴 弟麻呂(おおとも の おとまろ)」という人でした。
坂上田村麻呂の登場
征夷大将軍に関して有名なのは、
坂上田村麻呂でしょう。
「さかのうえ の たむらまろ」と読みます。
坂上田村麻呂は、先ほどの大伴弟麻呂のあとをついで征夷大将軍となります。蝦夷の指導者であったアテルイを降伏させて、自治を行っていた場所をそれまでの多賀城からさらに北の
胆沢城(いさわじょう)へと移します。
多賀城は宮城県多賀城市に、そして胆沢城は現在の岩手県奥州市にあたります。
征夷大将軍の復活
こののち、811年に征夷大将軍は廃止されますが、平安時代末期に源義仲が再度任命されたことで復活をします。以降、征夷大将軍は、武士としての最高の位とみなされるようになっていくのです。