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18_80 ヨーロッパの拡大と大西洋世界 / 宗教改革

福音とは わかりやすい世界史用語2553

著者名: ピアソラ
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福音とは

キリスト教の中心に横たわる「福音」という言葉は、単に宗教的な教えの一つを指すのではなく、その信仰体系のまさに心臓部であり、すべての教義、実践、そして希望がそこから流れ出す源泉です。この言葉は、ギリシア語の「エウアンゲリオン」に由来し、文字通りには「良き知らせ」または「喜ばしい知らせ」を意味します。古代世界において、この言葉は、戦いにおける勝利や新しい皇帝の即位といった、共同体の運命を好転させるような重大な公的ニュースを告げる際に用いられました。初期のキリスト教徒たちが、イエス=キリストに関するメッセージを伝えるために敢えてこの言葉を選んだとき、彼らは、イエスの生涯、死、そして復活が、単なる個人的な慰めや道徳的な教訓ではなく、全人類と被造世界全体の運命を決定的に変える、宇宙的な規模での勝利宣言であることを主張したのです。福音とは、一言で要約すれば、神が、御子イエス=キリストの受肉、十字架上の死、そして復活という歴史的な出来事を通して、罪と死の力に支配された人類を救済し、神との和解の道を開き、新しい創造の時代の到来を告げ知らせたという、神からの最終的かつ決定的な喜ばしい知らせです。それは、人間が神に到達するための努力の物語ではなく、神が人間のもとへ降りてこられた恵みの物語であり、律法の要求を満たすことによっては決して得られない救いが、ただ信仰によって与えられるという、驚くべき知らせに他なりません。この福音のメッセージは、新約聖書、特に四つの福音書と使徒パウロの書簡群において、多角的かつ重層的に展開されていきます。それは、神の国の到来を告げるイエスの宣教であり、罪人の身代わりとなって死ぬキリストの贖罪であり、死の力を打ち破る復活の勝利であり、そして聖霊によって信者の内に新しい命が創造されるという約束です。したがって、福音を理解することは、キリスト教という信仰の核心に触れ、その世界観、人間観、そして歴史観の全体を貫くダイナミズムを解き明かすための鍵となります。



福音の旧約聖書的背景

新約聖書が語る福音は、歴史の空白から突如として現れたものではなく、イスラエルの民の長い歴史と、旧約聖書に記録された神の約束の物語に深く根差しています。
創造と堕落

福音の物語の出発点は、創世記が描く世界の創造と、それに続く人間の堕落にあります。神は、ご自身の「かたち」に人間を創造し、祝福し、被造世界を治めるという尊い役割を与えましたが、最初の人間アダムとエバは、神の命令に背いて禁じられた木の実を食べることによって、神との信頼関係を破壊し、罪と死を世界に招き入れました。この「原罪」と呼ばれる出来事は、単なる過去の神話ではなく、神から離反し、自己中心的で、死の支配下にあるという、すべての人間に共通する根源的な状態を示すものと理解されます。この堕落の結果、人間と神、人間同士、そして人間と自然との間にあった調和は失われ、世界は苦しみ、腐敗、そして死のサイクルに囚われることになりました。福音は、まさにこの絶望的な状況に対する神からの応答であり、堕落によって損なわれた神の創造の目的を回復し、完成させるための、壮大な救済計画の始まりを告げるものなのです。
アブラハム契約

人類が罪の中に散らされていく中で、神は一方的な恵みによって、カルデアのウルに住む一人の人物、アブラハムを選び出し、彼と契約を結ぶことによって、救済の歴史を具体的に開始されます。神はアブラハムに対して、彼を大いなる国民とし、彼の子孫に土地を与え、そして最も重要なこととして、「地上のすべての民族は、あなたによって祝福される」と約束しました。このアブラハム契約は、神の救済計画が、イスラエルという特定の民を通して進められる一方で、その最終的な目的は、イスラエルを超えて全人類に及ぶ普遍的な祝福であることを示唆しています。新約聖書の記者たち、特にパウロは、この約束の中に、異邦人を含むすべての人々が、信仰によってアブラハムの子孫となり、神の祝福にあずかるという、キリストの福音の原型を見出しました。
モーセ契約と律法

アブラハムの子孫がエジプトで奴隷となったとき、神はモーセを指導者として選び、彼らを奇跡的に解放し、シナイ山で彼らと契約を結びます。このモーセ契約の中心にあるのが、十戒をはじめとする「律法」であり、それは、神の民が、聖なる神の御前で、どのように生きるべきかを示すための神聖な指針でした。律法は、神の聖なるご性質を反映するものであり、それ自体は「聖であり、正しく、そして良いもの」ですが、罪の力に支配された人間は、自らの力でその要求を完全に満たすことができませんでした。結果として、律法は、人々に救いをもたらすどころか、むしろ人々の罪を明らかにし、神の義の基準に到達できないという人間の絶望的な状態を自覚させる役割を果たしました。パウロが後に「律法によって義とされる者は、だれ一人いない」と述べたように、律法は、人間が自力で救いを得ることの不可能性を指し示し、外側からの救い主、すなわちキリストの必要性を準備する「養育係」となったのです。
ダビデ契約

イスラエルの歴史が進む中で、神は、イスラエルの最も偉大な王であったダビデと契約を結び、彼の王座が永遠に続き、彼の子孫の中から永遠の王国を治める一人の王が現れることを約束しました。しかし、ダビデの後継者たちは、次々と神に背き、最終的に王国は分裂し、バビロニア捕囚によって滅亡してしまいます。この歴史的な失敗にもかかわらず、ダビデの子孫から理想的な王、すなわち「メシア」(油注がれた者)が現れ、神の民を解放し、正義と平和をもって世界を統治するという希望は、預言者たちによって語り継がれ、イスラエルの民の心に深く根付いていきました。新約聖書は、イエスこそがこのダビデの子として約束されたメシアであり、彼の到来によって、神の国という、地上的な王国をはるかに超えた霊的な支配が始まったと宣言します。
預言者たちの声

王国の崩壊と捕囚という民族的な危機の時代に、預言者たちは、神の裁きを告げると同時に、未来の回復と救済に関する、より明確で希望に満ちたビジョンを語りました。預言者イザヤは、民の罪をその身に負って苦しむ「苦難の僕」の姿を預言し、その自己犠牲的な死が多くの人の罪を贖うことを示唆しました。預言者エレミヤは、神がご自身の律法を人々の心に書き記し、すべての人が神を知るようになる「新しい契約」の到来を告げました。預言者エゼキエルは、神が人々に新しい心と新しい霊を与え、石の心を取り除いて肉の心を与えるという、内面的な再生の約束を語りました。これらの預言は、旧約聖書の律法と儀式では達成できなかった、人間の心の根本的な変革と、神との親密な交わりの回復という、福音の核心的な要素を力強く予告するものだったのです。
共観福音書における福音

マタイ、マルコ、ルカの三つの福音書は、共通の視点からイエスの生涯と教えを描き出しており、そこでは「神の国」の到来が福音の中心的なテーマとして提示されます。
マルコによる福音=イエスは神の子、メシアである

最も初期に書かれたとされるマルコによる福音書は、「神の子イエス=キリストの福音の初め」という劇的な一文で始まります。マルコにとって、福音とは、イエスという人物そのものであり、彼が誰であり、何をしたかという物語に他なりません。イエスは、ガリラヤで宣教を開始し、「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」と宣言します。彼は、病人を癒し、悪霊を追い出すという力強い「奇跡」を通して、罪と悪の力に対する神の支配が、すでにこの世界に侵入し始めていることを目に見える形で示しました。しかし、マルコの描くイエスは、単なる力ある奇跡を行う者ではなく、人々に誤解され、弟子たちにさえ理解されず、最終的には十字架の苦難と死へと向かう「苦難のメシア」です。イエスの真のアイデンティティは、彼が十字架上で息を引き取った瞬間、ローマの百人隊長が「まことに、この人は神の子であった」と告白するときに、逆説的に明らかにされます。マルコにとって、福音とは、栄光と苦難、力と無力さが不可分に結びついた、十字架につけられた神の子の物語なのです。
マタイによる福音

ユダヤ人キリスト者共同体に向けて書かれたとされるマタイによる福音書は、イエスが、アブラハムとダビデの子孫として、旧約聖書の預言をすべて成就する、イスラエルの正当な王=メシアであることを強調します。マタイは、イエスの生涯の出来事を、繰り返し旧約聖書の預言と結びつけ、彼こそが待望されていた救い主であることを論証しようとします。イエスは、シナイ山で律法を与えたモーセを凌ぐ「新しいモーセ」として、山上の説教で神の国の義の基準を教え、律法の内面的な意味を明らかにします。彼は、弟子たちに全世界に出て行って、すべての人々を弟子とし、父と子と聖霊の名によってバプテスマを授け、彼が命じたすべてのことを教えるように命じる「大宣教命令」でその福音書を締めくくります。マタイにとって、福音とは、イスラエルのメシアであるイエスが、今や全世界の主となり、彼の教えを通して、新しい神の民が国籍や民族を超えて形成されるという、普遍的な知らせなのです。
ルカによる福音

医者であり、パウロの同伴者でもあったとされるルカは、その福音書と続編である使徒言行録において、福音の普遍的な性格を特に強調します。彼は、イエスの系図を、ダビデやアブラハムにとどまらず、全人類の祖先であるアダムにまで遡らせ、イエスがユダヤ人だけでなく、すべての人のための救い主であることを示します。ルカの福音書には、貧しい人々、徴税人、サマリア人、女性といった、当時の社会で疎外されていた人々に対するイエスの特別な配慮が随所に描かれています。彼は、イエスの誕生を、羊飼いたちという最も低い身分の人々に最初に告げられた「すべての民に与えられる大きな喜び」として描き、「放蕩息子のたとえ」のような、神の無条件の愛と赦しを感動的に物語る独自のたとえ話を数多く収録しています。ルカにとって、福音とは、社会的、経済的、民族的なあらゆる障壁を打ち破り、神の憐れみ深い救いが、最も小さくされた者たちにこそ差し伸べられるという、喜びの知らせなのです。さらに、ルカは、聖霊の働きを際立たせ、イエスの生涯から、使徒言行録で描かれる初代教会の宣教へと、福音のメッセージが聖霊の力によって世界へと広がっていくダイナミックな過程を描き出します。
ヨハネによる福音書における福音

共観福音書とは異なる独自の視点を持つヨハネによる福音書は、福音を、イエスを信じることによって与えられる「永遠の命」という観点から深く掘り下げていきます。
受肉した言

ヨハネは、その福音書の冒頭で、「初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった」という荘厳な宣言から始まり、この宇宙の創造と理性の根源である「言」(ロゴス)が、ナザレのイエスという一人の人間として「肉体となった」と語ります。これは、神ご自身が、人間の歴史の中に入り込み、目に見える形でご自身を完全に啓示されたという、受肉の奥義を述べたものです。ヨハネにとって、イエスは単に神について教える預言者ではなく、彼自身が神の自己啓示そのものであり、イエスを見ることは父なる神を見ることと同義でした。福音とは、この受肉した言であるイエスを通して、人間が、近づきがたい超越的な神と、個人的で親密な交わりを持つことができるようになったという、驚くべき知らせなのです。
「わたしはある」という宣言

ヨハネ福音書の中で、イエスは繰り返し「わたしは…である」(エゴ=エイミ)という、旧約聖書で神がモーセにご自身の名を明かされた際の言葉を用いて、自らの神性を主張します。彼は、「わたしは命のパンである」「わたしは世の光である」「わたしは羊の門である」「わたしは良い羊飼いである」「わたしはよみがえりであり、命である」「わたしは道であり、真理であり、命である」「わたしはまことのぶどうの木である」と宣言します。これらの宣言は、人間が生きていく上で不可欠なすべての霊的な必要が、イエスご自身のうちに満たされることを示しています。福音とは、飢え渇き、暗闇をさまよい、道を見失った人間が、イエスという人格のうちに、完全な充足と導き、そして究極的な命そのものを見出すことができるという知らせなのです。
しるしと信仰

ヨハネは、イエスの行った奇跡を、単なる力の誇示ではなく、イエスが誰であるかを示す「しるし」として描きます。水をぶどう酒に変える最初のしるしから、ラザロを死からよみがえらせる最後のしるしに至るまで、これらの出来事は、読者をイエスへの「信仰」へと招くために記されています。ヨハネにとって、信仰とは、単に教義を理性で同意することではなく、イエスという人格と全存在的に結びつき、彼を信頼し、彼の内に留まるという、ダイナミックな関係性を意味します。そして、この信仰への応答に対して、イエスは「永遠の命」を与えると約束します。この永遠の命とは、単に死後に始まる終わりのない生命を指すのではなく、イエスを信じたその瞬間から始まる、神との交わりという、質的に新しい生命のことです。福音とは、死すべき運命にある人間が、イエスを信じる信仰を通して、今この時から、神の永遠の命にあずかることができるという、究極の希望のメッセージなのです。
パウロ書簡における福音

使徒パウロは、その書簡群において、福音の神学的な意味を最も体系的かつ深く展開しました。彼にとって、福音の中心は、キリストの十字架と復活、そしてそれによってもたらされる「信仰による義認」にあります。
全人類の罪

パウロ神学の出発点は、ローマの信徒への手紙で詳述されているように、ユダヤ人も異邦人も含めた全人類が、例外なく罪の力の下にあり、神の裁きを免れ得ないという厳しい現実認識にあります。異邦人は、被造物を通して明らかにされている神の栄光を認めず、偶像崇拝と不道徳に陥りました。一方、律法を与えられたユダヤ人もまた、その律法を守ることができず、自らの罪を示される結果となりました。パウロは、「義人はいない。一人もいない」と断言し、人間が自らの行いや努力によって神の前に正しいと認められる可能性を完全に断ち切ります。この全人類的な絶望的状況こそが、神からの救い、すなわち福音を絶対的に必要とする背景なのです。
キリストの贖罪

この人間の罪の問題に対する神の答えが、御子イエス=キリストの十字架の死でした。パウロは、この十字架の出来事を、罪のない神の子が、罪ある全人類の身代わりとなって神の罰をその身に引き受け、罪を贖うための「贖いの犠牲」であったと解釈します。キリストは、私たちの罪のために死に、私たちの負債を完全に支払うことによって、神の義と愛を同時に満たしました。神は、罪を憎む聖なる方であると同時に、罪人を愛する憐れみ深い方であり、その二つの性質が、十字架の上で究極的に示されたのです。パウロにとって、福音の核心は、この「キリストの十字架」という、ある人にはつまずき、ある人には愚かに見える出来事のうちにこそ、神の力と神の知恵が啓示されているという、逆説的なメッセージにありました。
信仰による義認

キリストの贖罪の死という客観的な事実に対して、人間がその救いにあずかるための唯一の道が「信仰」です。パウロは、人が救われるのは、律法を守る「行い」によるのではなく、ただイエス=キリストを信じる「信仰によって」のみである、という「信仰義認」の教理を力強く主張します。義認とは、法廷用語であり、罪ある人間が、キリストの義をあたかも自分のものとして着せられ、神の御前で「無罪」と宣告され、正しい者と見なされることを意味します。これは、人間側の功績や価値に一切基づかない、100パーセント神からの賜物、すなわち「恵み」による救いです。福音とは、救いを得るために何も付け加える必要はなく、ただ神がキリストにおいて成し遂げてくださった御業を、信頼をもって受け入れるだけでよいという、人間をあらゆる功績主義の束縛から解放する、良き知らせなのです。
キリストとの合一と聖霊の働き

信仰によって義とされた信者は、霊的にキリストと「合一」し、彼の死と復活にあずかる者となります。洗礼は、このキリストとの合一を象徴するものであり、信者はキリストと共に罪に対して死に、キリストと共に新しい命に生きる者へと変えられます。この新しい命は、信者の内に住まわれる「聖霊」の働きによって実現します。聖霊は、信者に神の子としての確信を与え、祈りを助け、愛、喜び、平和といった「御霊の実」を結ばせ、キリストの似姿へと日々つくり変えていきます。福音は、単に過去の罪の赦しを告げるだけでなく、聖霊の力によって、現在において新しい創造の命を生きることを可能にする、変革的な力なのです。
和解と新しい創造

パウロにとって、福音の射程は、個人の救済にとどまりません。キリストの十字架は、神と人間との間の敵意を取り除き、「和解」をもたらしただけでなく、ユダヤ人と異邦人という、長年隔てられてきた人類の二大集団の間の壁をも打ち壊し、キリストにあって一つの新しい共同体、すなわち「教会」を創造しました。さらに、福音の究極的な目的は、全宇宙の和解と回復にあります。パウロは、被造世界全体が、人間の罪のゆえに虚無に服し、共にうめき苦しんでいるが、やがて神の子たちの栄光の現れと共に、その束縛から解放される日が来ると語ります。福音とは、キリストの死と復活によって開始された「新しい創造」が、やがてキリストの再臨の時に完成し、神がすべてにおいてすべてとなられるという、宇宙全体を巻き込む壮大な希望の知らせなのです。
福音の多面的な豊かさ

キリスト教の福音は、単一の公式に還元することのできない、驚くほど豊かで多面的な真理です。それは、旧約聖書における神の約束の成就であり、共観福音書が告げる神の国の到来であり、ヨハネが証しする永遠の命の賜物であり、そしてパウロが説く十字架による贖罪と信仰による義認です。これらの多様な表現は、互いに矛盾するものではなく、むしろ、一つの偉大なダイヤモンドが、見る角度によって異なる輝きを放つように、福音という計り知れない神の恵みの、異なる側面を照らし出しているのです。福音は、過去においては、キリストの歴史的な死と復活によって、私たちの罪が完全に贖われたという客観的な事実を告げます。現在においては、聖霊の力によって、私たちが新しい命に生き、日々キリストの似姿へと変えられていくという、変革的な力を与えます。そして未来においては、キリストが再び来られ、死者がよみがえり、被造世界全体が新しくされ、神の国が完成するという、揺るぎない希望を約束します。それは、罪と死の暗闇に捕らわれた人類に対する、神からの最終的かつ決定的な「良き知らせ」であり、人間のあらゆる功績や努力を無にし、ただ神の恵みと憐れみにのみ依り頼むことを教える、解放のメッセージです。この福音を受け入れることは、世界観、価値観、そして生き方そのものの根本的な転換を要求する、人生で最も重大な決断であり、キリスト教信仰のすべての始まりであり、また終わりでもあるのです。
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『世界史B 用語集』 山川出版社

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