予定説とは
キリスト教神学の歴史において、予定説ほど多くの論争を巻き起こし、深い思索を促し、そしてしばしば激しい誤解にさらされてきた教義は他にないかもしれません。この教義は、その最も基本的な形において、神が、世界の創造に先立って、個々の人間の永遠の運命、すなわち救いに至るか、あるいは滅びに至るかを、あらかじめ定めているという思想です。この考えは、多くの人々にとって、直感に反し、神を気まぐれな暴君のように見せ、人間の自由意志や道徳的責任を無意味にする、冷酷で恐ろしい教えに映ります。なぜ愛の神が、ある人々を救う一方で、他の人々を永遠の罰へと運命づけたのでしょうか。もしすべてが予め定められているのなら、人間の選択や努力に一体何の意味があるのでしょうか。
しかし、この教義を支持してきた神学者たちにとって、予定説は、神学的な思弁の産物ではなく、聖書の教えから導き出される必然的な結論であり、また、信者の救いの確信を支える、究極的な慰めの源泉でした。彼らにとって予定説は、救いが人間の功績や選択といった、移ろいやすく不確かな土台の上にではなく、決して変わることのない神の主権的な恵みと目的にのみ基づいていることを保証する、福音の核心部分でした。それは、人間の傲慢さを打ち砕き、すべての栄光を神にのみ帰すための、最も徹底した表現だったのです。
予定説をめぐる議論は、単なる神学上の論争にとどまりません。それは、神の主権と人間の自由、神の義と愛、そして救いの確信といった、信仰の根源的な問いへと我々を導きます。この教義の歴史をたどることは、アウグスティヌスからカルヴァン、そしてその後の神学者たちが、聖書の難解な箇所と格闘し、神の測り知れない計画の前に、畏れと信頼をもって立とうとした、知的かつ霊的な旅路を追体験することに他なりません。予定説という難解な教義の核心に迫るためには、それが提示する論理的な難問だけでなく、それがもたらそうとした牧会的な慰めにも、等しく耳を傾ける必要があります。
予定説の聖書的根拠
予定説は、哲学的な思弁から生まれたものではなく、その支持者たちによれば、聖書そのものの中に深く根ざしています。この教義を支持するために、歴史を通じて繰り返し引用されてきた聖書箇所は数多く存在します。それらの箇所は、神の選びと主権的な計画が、救いの物語全体を貫くテーマであることを示唆しています。
旧約聖書における選びのテーマ
旧約聖書全体を通じて、神が特定の人々や民族を、ご自身の特別な目的のために選び出すという「選び」のモチーフは、繰り返し現れます。この選びは、選ばれた側の功績や資質に基づくものではなく、もっぱら神の主権的な自由意志によるものとして描かれます。
物語は、アブラハムの選びから始まります。神は、カルデアのウルに住んでいた一人の人物アブラハムを選び出し、彼に故郷を離れ、約束の地へ向かうよう命じます。そして、彼を通して地上のすべての国民が祝福されるという、壮大な契約を結びます。なぜ神はアブラハムを選んだのでしょうか。聖書は、その理由をアブラハムの側の道徳的な優越性や信仰の深さに求めるのではなく、ただ神の不可解な選びにあったことを示唆します。
この選びのテーマは、アブラハムの子孫であるイスラエル民族の物語において、さらに明確になります。神は、エジプトで奴隷となっていたイスラエルの民を選び、奇跡的な御業をもって彼らを解放し、シナイ山で彼らと契約を結び、ご自身の民としました。申命記において、モーセはイスラエルの民にこう語りかけます。「主があなたがたを恋い慕って、あなたがたを選ばれたのは、あなたがたがどの民よりも数が多かったからではない。事実、あなたがたはすべての民のうちで最も数が少なかった。しかし、主はあなたがたを愛されたから…」。ここでも、選びの理由は、イスラエルの側の偉大さや力にあるのではなく、ただ神の主権的な愛と約束のゆえにあることが強調されています。イスラエルは、その功績によってではなく、恵みによって選ばれたのです。
この選びは、イスラエル民族全体だけでなく、その中の特定の個人にも及びます。アブラハムの二人の息子、イサクとイシュマエルのうち、イサクが約束の子として選ばれます。イサクの二人の息子、双子のエサウとヤコブのうちでは、兄エサウではなく、弟ヤコブが祝福を受け継ぐ者として選ばれます。これらの物語は、人間の生まれ順や自然な権利といった基準を覆す、神の予測不可能な選びの性質を浮き彫りにします。
新約聖書、特にパウロ書簡における明確化
旧約聖書に見られる選びのテーマは、新約聖書、特に使徒パウロの書簡において、個人の永遠の救いに関する、より明確な「予定」の教義として展開されます。パウロは、救いが人間の努力や行いによるのではなく、完全に神の恵みによるものであるという、彼の福音の中心的なメッセージを論証する文脈で、しばしば神の永遠の選びについて言及します。
予定説の最も重要な聖書的根拠とされるのが、エペソ人への手紙の冒頭部分です。「すなわち、神は私たちを世界の基の置かれる前からキリストのうちに選び、御前で聖く、傷のない者にしようとされました。神は、みむねとみこころのままに、私たちをイエス=キリストによってご自分の子にしようと、愛をもってあらかじめ定められました」。この箇所は、救いに関する神の計画が、時間のはるか以前、世界の創造の前から存在した、永遠の定めであることを明確に述べています。選びの基準は、人間の側の何かではなく、ただ神ご自身の「みむねとみこころ」、すなわち、その自由で主権的な意志にあるとされています。
ローマ人への手紙第8章では、パウロは、信者の救いの確実性を、神の揺るぎない計画の連鎖として描写します。「神は、あらかじめ知っておられる人々を、御子のかたちと同じ姿にあらかじめ定められました…神は、あらかじめ定めた人々をさらに召し、召した人々をさらに義と認め、義と認めた人々にはさらに栄光をお与えになりました」。この「黄金の鎖」と呼ばれる一連の動詞(あらかじめ知る、あらかじめ定める、召す、義と認める、栄光を与える)は、救いのプロセス全体が、最初から最後まで、神の主権的な働きかけによって貫かれていることを示しています。
そして、ローマ人への手紙第9章から第11章は、予定説に関する最も詳細かつ難解な議論が展開される箇所です。ここでパウロは、なぜ多くのイスラエル人がイエスをメシアとして受け入れなかったのか、という難しい問いに取り組む中で、神の選びの絶対的な主権について論じます。彼は、旧約聖書のヤコブとエサウの物語を引用し、「子どもたちがまだ生まれもせず、善も悪も行わないうちに…『兄は弟に仕える』と言われました」と述べ、神の選びが、人間の行いや功績に一切依存しないことを強調します。
この神の絶対的な主権に対して、「神は不公平ではないか」という反論が起こることを予期したパウロは、陶器師と粘土のたとえを用いて答えます。「陶器師には、同じ粘土のかたまりから、一つを尊いことに用いる器に、もう一つを卑しいことに用いる器に作る権利がないのでしょうか」。このたとえは、被造物である人間が、創造主である神の主権的な計画に対して、異議を唱える立場にないことを示唆します。神は、ある人々を「あわれみの器」として栄光のために備え、またある人々を「怒りの器」として滅びのために備える、絶対的な自由を持っている、とパウロは論じます。
これらのパウロの議論は、その解釈をめぐって、後世にわたって激しい神学論争を引き起こすことになります。しかし、予定説の教義が、単なる哲学的な思弁ではなく、聖書の、特にパウロ神学の核心部分と深く結びついていることは、否定できません。
教父時代の展開=アウグスティヌスとペラギウス論争
予定説が、キリスト教神学の中心的な議題として明確に定式化されたのは、4世紀後半から5世紀初頭にかけての、北アフリカの教父アウグスティヌスと、ブリタニア出身の修道士ペラギウスとの間の、激しい神学論争を通じてでした。この論争は、人間の自由意志、原罪、そして救いにおける神の恵みの役割という、キリスト教人間論の根幹を揺るがすものでした。
ペラギウスの人間論=人間の自律性
ペラギウスは、厳格な道徳主義者であり、当時のキリスト教徒の道徳的な弛緩を深く憂いていました。彼は、人間が神から、善を行うための完全な能力を与えられていると主張しました。彼によれば、アダムの罪は、彼個人の罪であり、その罪や罪責が子孫に遺伝すること(原罪)はありません。アダムの罪は、悪い手本として、その後の人間に影響を与えたに過ぎません。
したがって、すべての人間は、アダムが堕落する前に持っていたのと同じ、汚されていない自由意志を持って生まれてくると、ペラギウスは考えました。人間は、自らの自由意志によって、善を選ぶことも、悪を選ぶこともできます。神の律法を守り、罪のない生活を送ることは、困難ではあるが、不可能ではありません。
この人間論において、神の恵みの役割は、二次的なものとなります。恵みとは、第一に、自由意志という自然な賜物であり、第二に、十戒のような神の教えであり、第三に、キリストの模範です。これらは、人間が自らの力で善を行うのを助ける、外的な補助に過ぎません。救いは、最終的には、人間が自らの自由意志を用いて、神の命令に従うことによって獲得される、一種の功績となります。ペラギウスの思想の根底には、人間の道徳的責任を強調し、人々をより高い聖さへと励ましたいという、牧会的な動機がありました。
アウグスティヌスの恵みと予定の神学
若い頃、マニ教の二元論に惹かれ、その後、自らの情欲との苦しい戦いを経験したアウグスティヌスは、ペラギウスの楽観的な人間論の中に、人間の罪の深刻さと、神の恵みの絶対的な必要性に対する、根本的な無理解を見出しました。彼は、ペラギウスの教えが、キリスト教の福音そのものを骨抜きにする、危険な異端であると考え、その生涯の後半を、ペラギウス主義との戦いに捧げました。
アウグスティヌスは、自らの回心の経験(特に『告白』に詳しい)を通して、人間が自らの力では善を行うことができず、救いが完全に神の一方的な働きかけによるものであることを、深く確信していました。彼は、ペラギウスに対抗して、原罪、不可抗的恩恵、そして予定説という、一連の教義を体系的に展開しました。
第一に、アウグスティヌスは、アダムの罪が、全人類に影響を及ぼしたと主張しました。アダムにあって、全人類が罪を犯したのであり、その結果、人間の本性は完全に腐敗しました。人間は、アダムから罪責と、罪へと傾く性質(情欲)とを受け継いでいます。
第二に、この原罪の結果、人間の自由意志は、善を行う能力を失いました。堕落後の人間は、依然として選択する能力(自由意志)を持っていますが、その意志は罪の奴隷となっており、神を愛し、神に喜ばれる善を自発的に選ぶことはできません。人間は、聖霊の恵みによって内側から新しくされない限り、罪を犯すことしかできないのです。
第三に、したがって、救いの主導権は、完全に神の側にあります。神は、ある人々を救うために、その心に働きかけ、信仰と悔い改めへと導きます。この神の恵みは、人間が抵抗することのできない「不可抗的恩恵」です。恵みは、人間の自由意志に協力を求めるのではなく、むしろ、罪に縛られた意志を解放し、癒し、神へと向き直らせるのです。
そして第四に、この神の主権的な恵みの教えは、必然的に予定説へと行き着きます。もし、すべての人間が等しく罪の中に堕落しており、自力では救われることができず、救いが神の一方的な恵みによるのであれば、なぜある人は救われ、他の人は救われないのでしょうか。その唯一の理由は、神が、世界の創造の前に、その測り知れない御心によって、ある人々を救いへと選び(予定し)、他の人々をその罪のうちに放置することを定めたからである、とアウグスティヌスは結論付けました。
この神の選びは、人間の側のいかなる功績や、将来の信仰を予見したことに基づくものではありません。それは、完全に神の無償の、そして不可解な選びに基づいています。アウグスティヌスにとって、予定説は、救いにおける神の恵みの絶対的な主権を保証する、論理的な砦でした。
二重予定説の問題
アウグスティヌスの予定説は、救いへの選び(単一予定説)を強調しましたが、滅びへの定め(遺棄)については、より慎重な表現を用いています。彼は、神が積極的に人々を罪へと定め、地獄へと追いやる、という言い方を避け、むしろ、神が、その公正な裁きによって、ある人々をその当然受けるべき罰のうちに「見過ごし」「放置する」と表現する傾向がありました。
しかし、彼の論理を徹底すれば、もし神がある人々を積極的に選ぶのであれば、それは同時に、他の人々を選ばないことを積極的に決定していることにもなります。この、選びと遺棄の両方を神の永遠の定めと見る立場は、「二重予定説」と呼ばれます。アウグスティヌスの著作の中には、この二重予定説を示唆する箇所も見られますが、彼の思想の中心は、あくまで、信者の救いを保証する、恵みの選びの側面にあったと言えます。
アウグスティヌスの教えは、431年のエフェソス公会議などで、教会の公式な立場として認められ、ペラギウス主義は異端として断罪されました。しかし、アウグスティヌスの厳格な予定説、特に二重予定説の含意は、あまりに厳しすぎると感じた人々も多く、その後の中世神学において、彼の思想を修正し、人間の自由意志により大きな役割を与えようとする試み(半ペラギウス主義や、後のトマス=アクィナスの神学など)が、繰り返しなされることになります。
宗教改革と予定説=カルヴァンの体系化
中世後期を通じて、アウグスティヌスの厳格な恵みの神学は、スコラ神学の精緻な体系の中で、人間の功績や自由意志を強調する傾向に、次第に後景へと追いやられていきました。しかし、16世紀の宗教改革は、アウグスティヌスの思想、特に「信仰のみ」「恵みのみ」という彼の中心的な洞察を、再発見し、急進化させる運動でした。この文脈の中で、予定説は、再び神学の中心的な議題として浮上します。
マルティン=ルターと奴隷意志
宗教改革の口火を切ったマルティン=ルターは、アウグスティヌス修道会の修道士であり、その思想に深く影響を受けていました。ルターは、人間の義認(神の前に正しいと認められること)が、行いや功績によるのではなく、ただキリストを信じる信仰のみによる、という教えを、宗教改革の中心に据えました。
この「信仰のみ」の教えは、必然的に、救いにおける人間の能力の問題へとつながります。もし人間が、自らの自由意志で信仰を選ぶことができるのであれば、その選択自体が一種の功績となり、救いは純粋な恵みではなくなってしまいます。この点をめぐって、ルターは、高名な人文主義者エラスムスと、激しい論争を繰り広げました。
エラスムスは、人間の自由意志を擁護し、神の恵みは、人間の意志と協力して働くと主張しました。これに対し、ルターは、その主著の一つである『奴隷意志論』(1525年)において、エラスムスの見解を徹底的に論駁しました。ルターは、アウグスティヌス以上に過激な言葉で、堕落後の人間の意志が、罪と悪魔の奴隷となっており、霊的な事柄に関しては、善を行う能力を完全に失っていると主張しました。人間の意志は、神の恵みに乗せられるか、あるいは悪魔に乗せられるかの、どちらかであり、中立的な立場はありえません。
したがって、信仰は、人間の選択の結果ではなく、聖霊が、神の言葉を通して、抵抗する人間の心に働きかけ、その心を砕き、新しい意志を生み出す、神の一方的な御業です。このルターの人間論は、必然的に予定説を含意していました。彼は、『奴隷意志論』の中で、神の永遠の予定を明確に肯定しています。しかし、ルターの神学の中心的な関心は、常に、苦しむ良心に救いの確信を与える、客観的な福音の約束(キリストの十字架と復活)にありました。彼は、予定という神の隠された御心を探求することの危険性を警告し、神学の主題を、あくまで我々に啓示されたキリストに限定しようとしました。そのため、後のルター派神学では、予定説は、中心的な教義とはなりませんでした。
ジャン=カルヴァンによる予定説の体系化と牧会的適用
予定説を、自らの神学体系の中心的な構成要素として位置づけ、その論理を最も徹底的に展開したのが、フランスの宗教改革者ジャン=カルヴァンでした。カルヴァン主義(改革派神学)が、しばしば予定説の教義と同一視されるのは、このためです。
カルヴァンにとって、予定説は、彼の神学全体を貫く、神の絶対的な主権という根本原理の、論理的な帰結でした。もし神が、世界のすべての出来事を支配する主権者であるならば、個人の救いという最も重要な事柄が、神の計画の外にあるはずがありません。また、もし救いが、人間の側の功績や選択に少しでも依存するならば、それはもはや純粋な恵みではなくなり、人間が誇る余地を残してしまいます。予定説は、救いのすべての栄光を神にのみ帰すための、究極的な保証でした。
カルヴァンは、その主著『キリスト教綱要』の中で、予定説を詳細に論じています。彼は、予定を、「神が、各人について、こうなってほしいと望んで、自ら定められた永遠の定め」と定義します。そして、この定めが、すべての人に等しく適用されるのではなく、ある人々は永遠の生命に、他の人々は永遠の滅びに、あらかじめ定められていると、明確な「二重予定説」の立場を取ります。
彼は、この教えが、聖書、特にローマ人への手紙第9章の教えに直接基づいていると主張しました。彼は、神の選びが、人間の功績や、神が予見した未来の信仰に依存するという、あらゆる見解を退けました。選びの唯一の原因は、神の測り知れない、主権的な「良き御心」のうちにのみあります。なぜ神がある人を選び、他の人を選ばないのか、その理由を問うことは、被造物である人間の分を越えた、不遜な行いであると、カルヴァンは考えました。我々は、神の定めの前に、ただ畏敬の念をもって沈黙すべきなのです。
恐ろしい教令か、慰めの教義か
カルヴァン自身、この教義が多くの人々にとって「恐ろしい教令」に聞こえることを、よく認識していました。しかし、彼は、予定説を、神学的な思弁の対象としてではなく、信者の救いの確信を固めるための、実践的かつ牧会的な教義として提示しようとしました。
カルヴァンが生きた16世紀は、宗教的な不安の時代でした。多くの人々は、「自分は本当に神に受け入れられているのか」「自分の救いは確かなのか」という、深い問いに苛まれていました。カトリック教会は、告解や善行といった、教会の制度を通じて、この不安に応えようとしましたが、それはしばしば、救いの確信を、人間の側の不安定な努力の上に置くことになりました。
これに対し、カルヴァンは、予定説こそが、信者の救いの確信を、揺るぎない岩盤の上に据えるものだと考えました。信者の救いは、移ろいやすい自分の感情や、不完全な自分の行いにではなく、決して変わることのない、神の永遠の選びの定めにかかっているからです。神が一度選んだ者を、見捨てることは決してありません。この確信は、信者を、人生の試練や、自らの罪との戦いの中で、力づけ、支える、大きな慰めとなるはずでした。
しかし、ここには一つの困難な問いが生じます。すなわち、「自分は、神に選ばれた者の一人であると、どうすれば知ることができるのか」という問いです。もし選びが、神の隠された定めであるならば、誰も自分の救いを確信することはできないのではないでしょうか。
カルヴァンは、この問いに対して、神の隠された定めを直接探ろうとするのではなく、神が我々に啓示してくれた、選びのしるしに目を向けるべきだと答えました。その最も確実なしるしは、キリストご自身です。神は、キリストのうちに、我々を選ばれたからです。したがって、心からキリストを信じ、キリストに信頼する者は、自分が選ばれた者であることを確信することができます。信仰そのものが、聖霊が心に働いている証拠であり、選びのしるしなのです。
さらに、カルヴァンは、信仰から生まれる、聖化された生活、すなわち、罪と戦い、神に従おうとする努力もまた、選びの間接的なしるしとなりうると考えました。真の信仰は、必ず良い実を結ぶからです。しかし、彼は、信者が自分の行いを内省して救いの確信を得ようとすることの危険性も警告しました。確信の究極的な土台は、常に、我々の外にあるキリストとその約束でなければなりませんでした。
カルヴァン以後の展開と論争
カルヴァンによって体系化された予定説は、その後の改革派神学(カルヴァン主義)の最も特徴的な教義となりました。しかし、その解釈と強調点をめぐっては、カルヴァンの後継者たちの間でも、微妙な違いが生じ、やがて激しい神学論争へと発展していくことになります。
改革派正統主義とドルト会議
カルヴァンの死後、テオドール=ド=ベーズをはじめとする後継者たちは、彼の神学を、より精緻で論理的な体系へと発展させました。この時代は、「改革派正統主義」あるいは「プロテスタント=スコラ主義」と呼ばれます。この体系化の過程で、予定説は、しばしば神学全体の出発点であり、すべての教義がそこから演繹される、中心的な原理として位置づけられる傾向が強まりました。これは、神学を、あくまでキリスト中心に展開しようとしたカルヴァン自身の強調点からの、微妙な、しかし重要な変化でした。
この改革派正統主義の予定説に対する、最初の大きな挑戦が、17世紀初頭のオランダで起こりました。ライデン大学の神学教授であったヤコブス=アルミニウスは、カルヴァンの厳格な予定説に疑問を呈し、より人間の自由意志を重んじる見解を提唱しました。
アルミニウスは、神の選びが、神が各人の将来の信仰を「予知」したことに基づく、という「予知に基づく選び」の立場を取りました。すなわち、神は、誰が自らの自由意志でキリストを信じるかをあらかじめ知っており、その予知に基づいて、彼らを救いに選んだ、というのです。また、彼は、キリストの贖いは、すべての人々のために成し遂げられたものであり(万人贖罪説)、神の恵みは、人間が抵抗することも可能である(可抗的恩恵)と主張しました。
アルミニウスの教えは、オランダ改革派教会内に深刻な分裂を引き起こしました。彼の死後、その支持者たち(アルミニウス派、あるいはレモンストラント派)は、自分たちの見解をまとめた文書を提出し、教会にその承認を求めました。
この神学的な危機に対応するために、1618年から1619年にかけて、国際的な教会会議であるドルト会議が開催されました。この会議には、オランダだけでなく、イギリス、ドイツ、スイスなどから、多くの改革派神学者が集まりました。会議は、アルミニウス派の教えを徹底的に検討した結果、それを聖書と改革派の信仰に反するものとして、公式に断罪しました。
そして、アルミニウス主義に対抗して、改革派の予定説の教義を明確にするために、「ドルト信条」が採択されました。この信条は、後に「カルヴァン主義の五箇条」として知られるようになる、五つの中心的な教義を定式化しました。その頭文字をとって「TULIP」という記憶法で知られています。
全的堕落:堕落後の人間は、霊的に完全に腐敗しており、自力で神を求めることも、救いに貢献することもできない。
無条件的選び:神の選びは、人間の側のいかなる条件(功績や予知された信仰など)にも基づかない、神の主権的な恵みのみによる。
限定的贖罪:キリストの贖いの死は、その価値においては無限であるが、その救いの効力は、選ばれた者にのみ限定的に適用されることを意図していた。
不可抗的恩恵:神が救いへと選んだ者に対して与える、聖霊の救いの呼びかけは、最終的に抵抗することができず、必ず信仰と新生をもたらす。
聖徒の堅忍:一度、神によって真に救われた者は、神の力によってその信仰が保たれ、最終的に必ず救いを完成させる。
このドルト信条は、その後の改革派神学の標準的な教義となり、ウェストミンスター信仰告白(1646年)など、多くの重要な信仰告白文書に受け継がれていきました。それは、アウグスティヌスからカルヴァンに至る、厳格な恵みの神学の、最も体系的で論理的な表現の一つとなりました。
啓蒙主義以降の批判と再解釈
17世紀後半から18世紀にかけての啓蒙主義の時代は、理性、人間の自律性、そして普遍的な道徳法則を重んじる新しい思潮をもたらしました。この文脈の中で、予定説、特にその二重予定説の側面は、非理性的で、道徳的に受け入れがたい、過去の時代の遺物と見なされるようになりました。神が、ある人々を永遠の滅びに運命づけるという考えは、理性的で慈悲深い神のイメージとは、相容れないものとされました。
この啓蒙主義の批判に応答する形で、プロテスタント神学の内部でも、予定説を再解釈したり、その重要性を低下させたりする動きが強まりました。ジョン=ウェスレーに始まるメソジスト運動は、アルミニウス主義的な立場を鮮明にし、人間の自由意志と、すべての人に開かれた救いの可能性を強調しました。19世紀の自由主義神学は、予定説のような超自然的な教義を、神話的な表現として退け、キリスト教の核心を、イエスの倫理的な教えに見出そうとしました。
20世紀に入り、二つの世界大戦の破壊を経験したヨーロッパで、人間の進歩に対する楽観的な信頼が揺らぐ中で、宗教改革の神学、特にその神の主権と人間の罪の深刻さを強調する側面に、新たな関心が寄せられるようになります。その中心人物が、スイスの神学者カール=バルトでした。
バルトは、自由主義神学を厳しく批判し、「神の言葉の神学」を提唱しました。彼は、カルヴァンをはじめとする宗教改革者たちの思想を深く学びましたが、伝統的な改革派正統主義の予定説には、根本的な修正を加えました。
バルトにとって、神の選びの定めは、個々の人間に関する、抽象的で永遠の決定ではありません。神の唯一の予定は、イエス=キリストにおいてなされた、神の自己決定です。神は、イエス=キリストにおいて、ご自身を、人間と共にある神として選び、また、人間を、神と共にある人間として選ばれました。イエス=キリストは、神に選ばれた唯一の人間であり、同時に、神に見捨てられた唯一の人間でもあります。彼は、十字架の上で、全人類の罪と神からの遺棄を、一身に引き受けました。
したがって、個々の人間は、キリストから離れて、直接的に神の選びや遺棄の対象となるのではありません。すべての人間は、キリストのうちにあって、神に選ばれた者です。遺棄されたのは、キリストただ一人です。このバルトのキリスト中心的な予定論の再解釈は、伝統的な二重予定説が持つ、神を気まぐれな暴君のように見せる危険性を克服し、予定を、神の恵みと愛の、究極的な肯定として捉え直そうとする、壮大な試みでした。この思想は、20世紀の神学に絶大な影響を与え、予定説をめぐる議論に、全く新しい視点を提供しました。