源氏物語とは
源氏物語は、古代日本の美しい恋愛と生活の一端を描き出した、最も古い長編小説のひとつです。作者の紫式部は、一条天皇の中宮・彰子の女房として仕えていました。源氏物語は全54巻にわたり、約1300年前に執筆されました。しかしながら、現存する最古の写本は14世紀に作成されたものであり、原本は失われてしまっています。このため、巻の名前や順序、内容に関しては諸説があり、学問的な研究の対象となっています。
光源氏の物語
源氏物語の主役であるのは、架空の人物・光源氏です。彼は桐壺の更衣という美しい女性と天皇の間に生まれましたが、母親が早世したため、皇子としてではなく「源氏」という名をもらいました。光源氏は、その美しさと才能ゆたかな性格から、多くの女性と恋愛関係を築きました。しかし、母に似た女性を求めるあまりに彼は苦悩し続けました。光源氏の恋愛や政治的な活動を中心に、彼の子や孫、友人や敵など、多彩な登場人物たちの入り組んだ人間関係が織り交ぜられています。
源氏物語は、日本文学の歴史において極めて重要な位置を占めています。その理由は、以下の点によるものです。
小説の元祖: 源氏物語は、日本語で書かれた初めての長編小説であり、小説という文学形式の礎を築きました。
心象風景の優れた描写: 源氏物語は、登場人物の感情や思考を細腕に描写するとともに、美しい風景描写も秀逸です。
文化の融合: この物語は、和歌や音楽、絵画など、当時の文化や芸術が豊富に取り入れられており、平安時代の貴族社会が息づいています。
国際的な影響: 源氏物語は、日本だけでなく世界中で愛読され、多くの翻訳や研究が行われています。
源氏物語は、その美しい筆致と深い物語性により、日本文学史上で最も重要な文学作品となっています。
このテキストでは、源氏物語の桐壺 故御息所の葬送について解説します。
源氏物語 桐壺 その6 故御息所の葬送【源氏物語 原文】
限りあれば、例の作法にをさめたてまつるを、母北の方、同じ煙にのぼりなむと、泣きこがれたまひて、御送りの女房の車に慕ひ乗りたまひて、愛宕といふ所にいといかめしうその作法したるに、おはし着きたる心地、いかばかりかはありけむ。
「むなしき御骸を見る見る、なほおはするものと思ふが、いとかひなければ、灰になりたまはむを見たてまつりて、今は亡き人と、ひたぶるに思ひなりなむ」と、さかしうのたまひつれど、車よりも落ちぬべうまろびたまへば、さは思ひつかしと、人びともてわづらひきこゆ。
内裏より御使あり。
三位の位贈りたまふよし、勅使来てその宣命読むなむ、悲しきことなりける。女御とだに言はせずなりぬるが、あかず口惜しう思さるれば、いま一階の位をだにと、贈らせたまふなりけり。
これにつけても憎みたまふ人びと多かり。
もの思ひ知りたまふは、様、容貌などのめでたかりしこと、心ばせのなだらかにめやすく、憎みがたかりしことなど、今ぞ思し出づる。
さま悪しき御もてなしゆゑこそ、すげなう嫉みたまひしか、人柄のあはれに情けありし御心を、主上の女房なども恋ひしのびあへり。なくてぞとは、かかる折にやと見えたり。
【現代語訳】
どんなに惜しい人でも、亡骸は亡骸として扱わなければなりません。
葬儀が行われることになって、母(北の方)は更衣の亡骸と一緒に燃えて煙になってしまいたいと泣いていました。
愛宕(おたぎ)という場所で行われている葬式に到着したときに、北の方はどれほど悲しんだことでしょう。
「更衣がまだ生きている人のように思えてならない私の迷いを断ち切るために、葬儀に行かなければなりません」
と賢そうに口にはしていましたが、山車から落ちてしまいそうに泣くのを見て、立ち直るのも難しいぐらい悲しんでいらっしゃると女房達は思いました。
宮中からの使者が、更衣に三位の位を授けに葬儀にやってきました。
直視がその宣命を読み上げたときほど、北の方にとって悲しいことはなかったでしょう。
この三位は「女御」に相当する階級です。帝は、更衣に女御とさえ言わせないでいたことを心残りに思っていたので、この階級を授けたのです。
しかし、このようなことでも反感を持つ者もいました。
理解のある人たちは、更衣のことを美しさや性格のなだらかさなどで憎むことのできなかった人であると今になって思い出しています。
帝の度の過ぎた寵愛ぶりから人の嫉妬を買ったのですが、更衣が優しく愛情深い人であったことを、帝の世話をする女官たちは恋しく思い出していました。
「亡き人は恋しいものだ」とはこのようなときに使うのだなあと思いました。
※あくまでもイメージを掴む参考にして下さい。