安息とは
『史記』は、中国の歴史家司馬遷によって紀元前1世紀に編纂された歴史書であり、中国の歴史を包括的に記録した最初の書物です。この書物には、古代中国の歴史だけでなく、周辺地域や民族についても詳細に記述されています。その中で「安息」は、パルティアを指し、古代イランの王朝についての記述が含まれています。
パルティアの歴史
パルティアは、紀元前247年にアルサケス1世によって設立されました。アルサケス1世は、セレウコス朝の支配下にあったパルティア地方で反乱を起こし、独立を宣言しました。彼の治世は、パルティアの独立とその後の繁栄の基盤を築いた重要な時期でした。
パルティアの拡大と統治
パルティアは、アレクサンドロス大王の征服地を継承し、ギリシャ文化と東方文化の融合を推進しました。パルティアの支配下では、ギリシャ語が公用語として使用され、ギリシャ風の都市が建設されました。
アンティオキア: セレウコス朝の主要な都市であり、シリアの首都として機能しました。アンティオキアは、文化、商業、政治の中心地として繁栄しました。
セレウキア: メソポタミアの主要都市であり、パルティアの東部の中心地として重要な役割を果たしました。
経済と文化
パルティアは、シルクロードの重要な中継地点として機能し、東西の交易が盛んに行われました。この地域は、ギリシャ、ペルシャ、インド、中国など、さまざまな文化が交差する場所であり、多様な文化が融合しました。
都市と建築: パルティアには、多くの都市が建設され、その中でもバクトラ(現在のバルフ)は特に重要な都市でした。バクトラは、交易と文化の中心地として繁栄しました。
経済活動: パルティアは、農業、牧畜、鉱業などが盛んであり、特に金や銀の鉱山が豊富でした。また、シルクロードを通じて絹、香辛料、宝石などの交易が行われました。