満州事変
1931年、中華民国の
柳条湖付近の鉄道で爆発騒ぎがおきました。
日本はこれを中華民国の仕業であるとして満州に侵略し、満州全土を占領します。そして清の最後の皇帝であった
溥儀(ふぎ)を擁立して満州国を築きました。名目だけの政権ですので、傀儡政権(かいらいせいけん)と呼ばれています。
しかし実際には、満州に常駐していた関東軍の自作自演であったとされています。この一連の事件を
満洲事変といいます。
リットン調査団の登場
さてこれを不服とした中華民国は、
満州事変は明らかに日本の侵略行為であり、満州国の設立は認められないと国際連盟に訴えます。中華民国側は、満州事変より前の状態に情勢を戻して欲しいと主張し、日本側は満州国の正当性を主張しました。
そこで調査に派遣されたのがリットンを団長とする
リットン調査団です。
彼らは調査の後、次のような報告書を出します。
■柳条湖でおきた爆破事件を名目に、自衛目的で満州へ侵略したという日本の主張は妥当ではない
■しかし事変前に情勢を戻すことは現実的ではない
■よって満州国の独立は認めるものの、日本がこれを実質支配するものではない(特殊権益は認める)
満州の支配を国際的に認めてもらいたかった日本は、これに猛反発します。
国際連盟では、参加国の全会一致でなければ議案は可決されないのですが、この報告書の議決に関しては、
日本以外は全員賛成(
1国の棄権)と、完全に日本は干されてしまいました。
これを不服とした日本大使、
松岡洋右はその場で
議場を後にします。
満州事変は、日本の国際的な評価を大きく下げるものとなり、
日中戦争・太平洋戦争のきっかけとなった事件でした。そしてまた、国際連盟脱退への引き金ともなった事件なのです。