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17_80 原始・古代の社会・文化と東アジア / 弥生時代・古墳時代

古墳が作られた理由を古墳の分布から考える

著者名: 早稲男
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古墳はお墓だった!?

古墳時代に多く作られた古墳ですが、当時の権力者たちのお墓ではないかと考えられています。
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古墳には、装飾品や、馬、兵士、女性など様々な形をした埴輪が一緒におさめられていました。
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権力者の分布

古墳の分布には特徴があり、近畿地方を中心に多く建てられています。つまり、近畿地方に大きな古墳を建てられる有力者が多く存在したことを意味しています。

このことから、当時の政権は近畿地方に存在した可能性が高く、当時の政権のことを大和政権と呼んでいます。

トリビア

ちなみになぜ「大和」という漢字を使うのでしょうか。
大和政権がまとまる以前の話、人々は小さな集団(村よりももっと小さい集団)で生活をしていました。その集団のことを「環」と呼んでいます。
この「環」が集まって村、さらには大きな集団へと変貌を遂げていくのですが、集団が大きくなるにつれて、「環」→「大きな環」→「大和」と呼称が変わっていったとされています。
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・古墳が作られた理由を古墳の分布から考える

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『日本史用語集』 山川出版 
『教科書 詳解 日本史B』 三省堂

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