江戸幕府の末期、そして明治維新を経て新政府の設立の中心となったのが
薩摩・
長州・
土佐・
肥前出身の若者たちでした。
この4つの藩を合わせて
薩長土肥(さっちょうとひ)と言います。
ここではそれぞれの藩から、どのような人物が出てきたのかをまとめてみました。
■薩摩藩
薩摩藩からは、
西郷隆盛、
大久保利通、
小松帯刀らが輩出されています。
■西郷隆盛
坂本龍馬の計らいで長州藩の
桂小五郎(のちの木戸孝允)と
薩長同盟を結びます。また江戸城の無血開城を達成するなど、倒幕・新政府樹立に大きく従事しました。
■大久保利通
明治政府の初代内務卿を務めた人物です。学制や地租改正、徴兵令などの改革を実施しました。
■小松帯刀
西郷、大久保に比べるとあまり有名ではないかもしれませんが、薩摩藩の家老を努め、西郷や大久保らとは身分が全く違う人物でした。下級武士であった彼らを積極的に登用し、明治維新を裏から支えた人物として評価されています。
■長州藩
長州藩からは、
木戸孝允(桂小五郎)、
伊藤博文、
山縣有朋らが輩出されました。
■木戸孝允
桂小五郎から
木戸孝允に名前を変更しています。
薩摩藩の西郷隆盛と共に
薩長同盟を結び、倒幕のきっかけを作った人物です。新政府樹立後には
版籍奉還や
廃藩置県などの改革を推進し、それまでの体制を改め、
武士が台頭する平安時代以前の形であった中央集権的な政府の復活を目指しました。
西郷・大久保・木戸3人で
維新の三傑と呼ばれています。
■伊藤博文
初代内閣総理大臣です。岩倉使節団の一員としてヨーロッパでの政治体制を学び、日本における立憲君主制の確立、大日本帝国憲法の起草に大きく関わりました。
■山縣有朋
第3代内閣総理大臣です。明治政府では、軍の統制を図り「
国軍の父」と称されています。
その勢力は強大で、後の総理大臣の人事にも発言権のあった人物です。例えば第11代内閣総理大臣
桂太郎 や第18代内閣総理大臣
寺内正毅などは山縣閥の人間です。
長州からはその他にも、
大村益次郎、
井上馨、
前原一誠、
広沢真臣などといった人物が生まれています。
■土佐藩
土佐藩からは、
板垣退助らが輩出されました。
■板垣退助
参与として、西郷隆盛、木戸孝允、大隈重信らと新政府に参加します。
また、自由民権運動の祖としてその名は知られています。帝国議会開設に伴い、日本初代の政党である自由党を設立しました。遊説活動時、暴漢に襲われたときに言った「
板垣死すとも自由は死せず」は名言ですね。
土佐藩は、新政府での活躍はあまり目立ちませんでしたが、明治維新においては、
版籍奉還を提唱した藩主の
山内容堂や
坂本龍馬、
中岡慎太郎、
後藤象二郎、そして財界では
岩崎弥太郎など、多くの人物が土佐藩の出身です。
■肥前藩(佐賀藩)
肥前藩からは、大隈重信が有名です。
■大隈重信
第8代内閣総理大臣で、早稲田大学の創設者です。
新政府では大久保利通暗殺後の大蔵卿として、
殖産興業政策、
地租改正などの改革に従事しました。
薩長派閥以外では初の内閣総理大臣となり、板垣退助とともに
日本初の政党内閣「
隈板内閣」を組閣しました。
このようにしてみると、新政府の中心となったのは薩摩藩や長州藩であり、土佐藩、肥前藩はあくまでもサポート的な役割であったことがわかりますね。