平家物語
阿古屋之松
少将は今年三つになり給ふをさなき人をもち給へり。日ごろは若き人にて、君達なんどの事もさしも細やかにもおはせざりしかども、今はの時になりしかば、さすが心にやかかられけむ、
「このをさなき者を、今一度見ばや」
とこそのたまひけれ。乳母抱いて参りたり。少将膝の上にをき、髪かきなで、涙をはらはらと流いて、
「あはれ、汝七歳にならば、男になして、君へ参らせむとこそ思ひつれ。されども、今は云ふかひなし。もし命いきて、生ひ立ちたらば、法師になり、我が後の世をよくとぶらへよ。」
とのたまへば、いまだいとけなき心に、何事をか聞き分き給ふべきなれども、うちうなづき給へば、少将をはじめ奉りて、母うへ乳母の女房、その座に並み居たる人々、心あるも心なきも、皆袖をぞ濡らしける。福原の御使、やがて今夜鳥羽まで出ださせ給ふべきよし申しければ、
「幾ほどものびざらむ物故に、今宵ばかりは都の内にて明かさばや。」
とのたまへども、しきりに申せば、その夜鳥羽へぞ出でられける。宰相あまりにうらめしさに、今度は乗りも具し給はず。
同じき廿二日、福原へ下りつき給ひたりければ、太政入道、瀬尾太郎兼康に仰せて、備中国へぞ下されける。兼康は宰相のかへり聞き給はむところをおそれて、道すがらやうやうにいたはりなぐさめ奉る。されども少将もなぐさみ給ふ事もなし。夜昼ただ仏の御名をのみ唱へて、父の事をぞなげかれける。
つづき