平家物語
阿古屋之松
新大納言は備前の児島におはしけるを、あづかりの武士、難波次郎経遠、
「これはなほ舟着き近うてあしかりなむ。」
とて、地へわたし奉り、備前・備中両国の堺、庭瀬の郷有木の別所といふ山寺にをき奉る。備中の瀬尾と、備前の有木の別所の間は、わづかに五十町に足らぬ所なれば、丹波少将、そなたの風もさすがなつかしうや思はれけむ、ある時兼康を召して、
「これより大納言殿の御渡りあんなる備前の有木の別所へは、いかほどの道ぞ。」
と問ひ給へば、すぐに知らせ奉りては、悪しかりなんとや思ひけむ、
「片道十二三日で候ふ。」
と申す。その時少将涙をはらはらと流いて、
「日本は昔三十三箇国にてありけりを、中ごろ六十六箇国には分けられたんなり。さ云ふ備前備中備後も、元は一国にてありけるなり。また東に聞ゆる出羽陸奥両国も、昔は六十六郡が一国にてありけるを、その時十二郡をさきわかつて出羽国とは立てられり。されば実方中将、奥州へ流されたりける時、この国の名所に、阿古屋の松といふところを見ばやとて、国の内をたづねありきけるが、たづねかねて帰りける道に、ある老翁の一人逢ひたりければ、
「やや御辺は、古人とこそ見奉れ。当国の名所に、阿古屋の松といふ所や知りたる。」
と問ふに、
「全く当国の内には候はず。出羽国にや候らん。」
「さては御辺知らざりけり。世は末になつて、名所をもはや呼び失ひたるにこそ。」
とて、むなしく過ぎむとしければ、老翁、中将の袖を控へて、
「あはれ君は、
みちのくの阿古屋の松に木がくれて いづべき月のいでもやらぬか
といふ歌の心をもつて、当国の名所、阿古屋の松とは仰せられ候か。それは両国が一国なりし時、よみ侍る歌なり。十二郡をさき分かつて後は、出羽国にや候ふらむ。」
と申しければ、さらばとて、実方中将も、出羽国に越えてこそ、阿古屋の松をば見たりけれ。筑紫の太宰府より都へはらかの使の上るこそ、歩路十五日とは定めたれ。既に十二三日といふは、これより殆ど鎮西へ下向ごさむなれ。遠しといふとも、備前備中の間、両三日にはよも過ぎじ。近きを遠う申すは、父大納言殿の御渡あんなる所を、成経に知らせじとてこそ申すらめ」
とて、その後は恋しけれども、問ひ給はず。
つづき