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平家物語原文全集「阿古屋之松 3」

著者名: 古典愛好家
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平家物語

阿古屋之松

新大納言は備前の児島におはしけるを、あづかりの武士、難波次郎経遠、

「これはなほ舟着き近うてあしかりなむ。」


とて、地へわたし奉り、備前・備中両国の堺、庭瀬の郷有木の別所といふ山寺にをき奉る。備中の瀬尾と、備前の有木の別所の間は、わづかに五十町に足らぬ所なれば、丹波少将、そなたの風もさすがなつかしうや思はれけむ、ある時兼康を召して、

「これより大納言殿の御渡りあんなる備前の有木の別所へは、いかほどの道ぞ。」


と問ひ給へば、すぐに知らせ奉りては、悪しかりなんとや思ひけむ、

「片道十二三日で候ふ。」


と申す。その時少将涙をはらはらと流いて、

「日本は昔三十三箇国にてありけりを、中ごろ六十六箇国には分けられたんなり。さ云ふ備前備中備後も、元は一国にてありけるなり。また東に聞ゆる出羽陸奥両国も、昔は六十六郡が一国にてありけるを、その時十二郡をさきわかつて出羽国とは立てられり。されば実方中将、奥州へ流されたりける時、この国の名所に、阿古屋の松といふところを見ばやとて、国の内をたづねありきけるが、たづねかねて帰りける道に、ある老翁の一人逢ひたりければ、

「やや御辺は、古人とこそ見奉れ。当国の名所に、阿古屋の松といふ所や知りたる。」

と問ふに、

「全く当国の内には候はず。出羽国にや候らん。」

「さては御辺知らざりけり。世は末になつて、名所をもはや呼び失ひたるにこそ。」

とて、むなしく過ぎむとしければ、老翁、中将の袖を控へて、

「あはれ君は、

みちのくの阿古屋の松に木がくれて いづべき月のいでもやらぬか

といふ歌の心をもつて、当国の名所、阿古屋の松とは仰せられ候か。それは両国が一国なりし時、よみ侍る歌なり。十二郡をさき分かつて後は、出羽国にや候ふらむ。」

と申しければ、さらばとて、実方中将も、出羽国に越えてこそ、阿古屋の松をば見たりけれ。筑紫の太宰府より都へはらかの使の上るこそ、歩路十五日とは定めたれ。既に十二三日といふは、これより殆ど鎮西へ下向ごさむなれ。遠しといふとも、備前備中の間、両三日にはよも過ぎじ。近きを遠う申すは、父大納言殿の御渡あんなる所を、成経に知らせじとてこそ申すらめ」


とて、その後は恋しけれども、問ひ給はず。

つづき
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・平家物語原文全集「阿古屋之松 3」

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梶原正昭,山下宏明 1991年「新日本古典文学大系 44 平家物語 上」岩波書店

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