平家物語
願立
母上は御立願の事、人にも語らせ給はねば、誰もらしつらむと少しも疑ふ方もましまさず。御心の内の事共をありのままに御託宣ありければ、心肝にそうて、ことに尊く思し召さし、泣く泣く申させ給ひけるは、
「たとひ一日かた時にて候ふとも、ありがたふこそ候ふべきに、まして三年が命をのべて給はらむ事、しかるべう候ふ」
とて、泣く泣く御下向あり。そいそぎ都へいらせ給ひて、殿下の御領、紀伊国に田中庄といふ所を、八王子の御社へ寄進せらる。それよりして、法花問答講、今の世にいたるまで毎日退転なしとぞ承る。
かかりし程に、後二条関白殿、御病軽ませ給ひて、もとのごとくにならせ給ふ。上下よろこびあはれしほどに、三年の過ぐるは夢なれや、永長二年になりにけり。六月廿一日、また後二条関白殿、御ぐしの際(きわ)に悪しき御瘡出ださせ給ひて、うち臥させ給ひしが、同じき廿七日、御年丗八にて、つひにかくれさせ給ひぬ。御心のたけさ、理の強さ、さしもゆゆしき人にてましましけれども、まめやかに事の急にもなりにしかば、御命を惜しませ給ひけるなり。誠に惜しかるべし、四十にだにも満たせ給はで、大殿に先立まいらせ給ふこそ悲しけれ。必ずしも、父を先立つべしといふ事はなけれども、生死の掟に従ふならひ、万徳円満の世尊、十地究竟の大士たちも、力及び給はぬ事どもなり。慈悲具足の山王、利物の方便にてましませば、御とがめなかるべしとも覚えず。