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18_80 西アジア・地中海世界の形成 / 古代オリエント世界

オリエントに誕生した世界帝国(アッシリア、アケメネス朝、パルティア、ササン朝など) 受験対策問題 5

著者名: レキシントン
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オリエントに誕生した世界帝国で押さえておきたいポイント


※赤字部分が問題に出そうな部分です。赤色の暗記シートなどで隠して見てください。

世界帝国とは

世界帝国とは、一般的に他国やほかの民族を征服後、広大な領土と多民族を支配下においた強大な国家のこと。

アッシリア(紀元前2千年紀初頭〜紀元前612)

アッシリアは紀元前2千年紀初頭に、セム系のアッシリア人が都アッシュールを中心に北メソポタミアに建国したのがはじまり。

・一時紀元前15世紀にはミタンニに服属したが、その後独立をはたす。

・紀元前8世紀末には、首都がアッシュールからニネヴェに移る。その後、アッシュール=バニパル王(在位紀元前668〜紀元前627)の時代に、大図書館が建設される。

・アッシリアの軍隊は、製の武器や戦車、騎馬隊などを有し、紀元前7世紀前半にはエジプトを支配下におき、全オリエントの主要部分を初めて統一した。

鉄製の武器を歴史上はじめて使用したのは、中央アナトリアのヒッタイト。


・アッシリアは、専制君主たる王が頂点に君臨し、支配地域を州に分け、総督を派遣して支配させた。

・史上初の世界帝国であったが、被征服民に対する強制移住や重税など過酷な支配だったため、さまざまな民族が内部で反抗を繰り返し、帝国が内部から弱体化した。

・最終的に、紀元前612年、新バビロニア(カルデア)メディアによって滅ぼされた。

4王国分立

・アッシリアの滅亡後の紀元前612年以降、オリエントはリディア・メディア・新バビロニア(カルデア)・エジプトの4つの王国がそれぞれ分立する時代となった。

リディア(紀元前7世紀〜紀元前546)

・リディアは、インド=ヨーロッパ系の民族が紀元前7世紀に栄えた国で、アナトリア半島(現トルコ)を中心に領土を拡大し、メディアと争った。

・リディアは紀元前7世紀後半に世界最古の鋳造貨幣を使用した。

・紀元前546年にアケメネス朝ペルシアキュロス2世に滅ぼされた。

新バビロニア(カルデア)(紀元前625〜紀元前538)

セム系のカルデア人が紀元前625年に首都バビロンを中心に建国。

・メソポタミアからシリアおよびパレスチナなど、いわゆる「肥沃な三角地帯」を支配下におき、当時4王国の中で最も強大な国であった。

・「カルデア人の知恵」とは占星術天文学を指し、古代において高度な学問を有していた。

・リディアと同様に、紀元前538年にキュロス2世に滅ぼされた。

メディア(紀元前8世紀末〜紀元前550)

インド=ヨーロッパ系のイラン人が、都エクバタナを中心に紀元前8世紀末に建国。エクバタナは現在のハマダーン

・メディアはイラン人が建国した最初の国家。イラン人とは、初期の住民がアールヤ(高貴な人々)と自称したのが由来。その後メソポタミア地方や中央アジアにもイラン文明が発展。

・紀元前612年に隣国新バビロニア(カルデア)と同盟し、アッシリアを滅ぼした。

・最終的に、キュロス2世に滅ぼされる。

アケメネス朝ペルシア(紀元前550〜紀元前330)

・ペルシアとは、イランの旧称で、アケメネス朝がおこったイラン高原南西部のパールス(パルサ)という地名に由来する。

・アケメネス朝では、公用語としてペルシア語、エラム語、バビロニア語、アッシリア語、アラム語などが、文字はペルシア文字が用いられた。

・建国者キュロス2世(在位紀元前559~紀元前530)は、紀元前550年にメディアを滅亡させ自立し、その後リディア、新バビロニアを滅ぼしてアケメネス朝を創始した。

・第2代カンビュセス2世(在位紀元前530~紀元前522)はエジプトを征服後、全オリエントを統一する。

・第3代ダレイオス1世(在位紀元前522~紀元前486)は、東のインダス川から西のエーゲ海北岸にいたる広大な領土を治めるため、全国を20の州に分けてサトラップ(知事)を各地に派遣して徴税と治安維持を命じた。また、サトラップを観察するために、「王の目」、「王の耳」という王直属の監察官を派遣し、中央集権体制を作り上げた。その他にも、スサからサルデスに至る2500kmに及ぶ「王の道」を整備し、ペルセポリスという壮大な王都を建設した。

・アケメネス朝は大帝国を作り上げたが、ダレイオス1世が始めたギリシアとのペルシア戦争に敗れ、次第に衰退していった。

・イラン独自の宗教としては、紀元前7世紀頃に創始されたゾロアスター教が挙げられる。善悪二元論に基づき、善神アフラ=マズダと悪神アーリマンの対立が信仰の対象となり、火を崇拝したので拝火教と呼ばれる。ゾロアスター教は後に北魏に伝わり、中国では祆教と呼ばれた。

・楔形文字解読のきっかけは、ペルセポリス碑文を研究したドイツの学者グローテフェントが見つけ、後にベヒストゥーン碑文をイギリスの学者ローリンソンが研究し、解読に成功する。

・アレクサンドロス大王の東方遠征の際、紀元前331年のアルベラ(ガウガメラ)の戦いダレイオス3世が敗走後暗殺され、アケメネス朝は滅亡した。

セレウコス朝、バクトリア、パルティア

・アレクサンドロス大王は、東方遠征の結果インダス川流域や中央アジアを含む広大な領土を治めたが、その後アレクサンドロスが死ぬと、ディアドコイという後継者たちが争い、セレウコス朝シリア、プトレマイオス朝エジプト、アンティゴノス朝マケドニアなどが分立した。

セレウコス朝シリア(紀元前312~紀元前63)は、西アジアの大領土を有したが、その後アム川上流域のギリシア系住民が独立し、バクトリア(紀元前255~紀元前139)を建国した。また、カスピ海南東でアルサケス朝パルティアが独立すると衰退し、最後は紀元前1世紀にローマに滅ぼされた。

・バクトリアはヘレニズム文化をインドに伝え、その後シャーナ朝ク時代のインドでガンダーラ美術が生まれるきっかけとなった。

・バクトリアは、スキタイ系のトハラ人に滅ぼされた。

・パルティアはミトラダテス1世の時代に王都クテシフォンを中心に栄え、セレウコス朝滅亡後ローマと争い、東方ではと「絹の道」をつないだ。

ササン朝(226~651)

・ササン朝は、イラン系の国家で、パルティアを滅亡させた後建国された。都クテシフォンを中心に栄え、ゾロアスター教を国教化し、ローマ・東ローマと争った。

・ササン朝第2代のシャープール1世(在位241~272)は、東方でクシャーナ朝を破り、西方でエデッサの戦いでローマ皇帝ヴァレリアヌスを捕虜にするなど、隆盛を誇った。

・5世紀になると、中央アジアの騎馬民族エフタル(中国名:白匈奴)が侵入し、一時国力が低下した。

ホスロー1世(在位531~579)の時代になると、ササン朝は突厥と組んでエフタルを滅ぼし、東ローマ帝国のユスティニアヌス帝と争うなど、最盛期を迎えた。

・その後ホスロー2世の時代に、東ローマ帝国のヘラクレイオス1世に敗れると衰退し、最終的にニハーヴァンドの戦いでイスラーム軍に敗れ滅亡した。

・日本に伝わったササン朝美術としては、法隆寺の獅子狩文錦や正倉院の漆胡瓶が有名。

・西アジアの文字は、楔形文字に代わりアラム文字が使われ、その後中央アジアでこれを元にソグド文字が発明された。
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『世界史B 用語集』 山川出版社
『世界史B 教科書』 山川出版社

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