オリエントに誕生した世界帝国で押さえておきたいポイント
※赤字部分が問題に出そうな部分です。赤色の暗記シートなどで隠して見てください。
世界帝国とは
・
世界帝国とは、一般的に他国やほかの民族を征服後、広大な領土と多民族を支配下においた強大な国家のこと。
アッシリア(紀元前2千年紀初頭〜紀元前612)
・
アッシリアは紀元前
2千年紀初頭に、
セム系のアッシリア人が都
アッシュールを中心に
北メソポタミアに建国したのがはじまり。
・一時紀元前
15世紀には
ミタンニに服属したが、その後独立をはたす。
・紀元前
8世紀末には、首都がアッシュールから
ニネヴェに移る。その後、
アッシュール=バニパル王(在位紀元前668〜紀元前627)の時代に、
大図書館が建設される。
・アッシリアの軍隊は、
鉄製の武器や戦車、騎馬隊などを有し、紀元前7世紀前半にはエジプトを支配下におき、全オリエントの主要部分を初めて統一した。
鉄製の武器を歴史上はじめて使用したのは、中央アナトリアのヒッタイト。
・アッシリアは、専制君主たる王が頂点に君臨し、支配地域を州に分け、総督を派遣して支配させた。
・史上初の世界帝国であったが、被征服民に対する強制移住や重税など過酷な支配だったため、さまざまな民族が内部で反抗を繰り返し、帝国が内部から弱体化した。
・最終的に、紀元前
612年、
新バビロニア(カルデア)と
メディアによって滅ぼされた。
4王国分立
・アッシリアの滅亡後の紀元前612年以降、オリエントは
リディア・メディア・新バビロニア(カルデア)・エジプトの4つの王国がそれぞれ分立する時代となった。
リディア(紀元前7世紀〜紀元前546)
・リディアは、
インド=ヨーロッパ系の民族が紀元前
7世紀に栄えた国で、アナトリア半島(現トルコ)を中心に領土を拡大し、
メディアと争った。
・リディアは紀元前7世紀後半に世界最古の
鋳造貨幣を使用した。
・紀元前546年に
アケメネス朝ペルシアの
キュロス2世に滅ぼされた。
新バビロニア(カルデア)(紀元前625〜紀元前538)
・
セム系の
カルデア人が紀元前
625年に首都
バビロンを中心に建国。
・メソポタミアからシリアおよびパレスチナなど、いわゆる「
肥沃な三角地帯」を支配下におき、当時4王国の中で最も強大な国であった。
・「カルデア人の知恵」とは
占星術や
天文学を指し、古代において高度な学問を有していた。
・リディアと同様に、紀元前538年にキュロス2世に滅ぼされた。
メディア(紀元前8世紀末〜紀元前550)
・
インド=ヨーロッパ系の
イラン人が、都
エクバタナを中心に紀元前
8世紀末に建国。エクバタナは現在の
ハマダーン。
・メディアはイラン人が建国した最初の国家。イラン人とは、初期の住民がアールヤ(高貴な人々)と自称したのが由来。その後
メソポタミア地方や
中央アジアにもイラン文明が発展。
・紀元前
612年に隣国
新バビロニア(カルデア)と同盟し、
アッシリアを滅ぼした。
・最終的に、キュロス2世に滅ぼされる。
アケメネス朝ペルシア(紀元前550〜紀元前330)
・ペルシアとは、イランの旧称で、アケメネス朝がおこったイラン高原南西部の
パールス(パルサ)という地名に由来する。
・アケメネス朝では、公用語として
ペルシア語、エラム語、バビロニア語、アッシリア語、アラム語などが、文字は
ペルシア文字が用いられた。
・建国者キュロス2世(在位紀元前559~紀元前530)は、紀元前
550年にメディアを滅亡させ自立し、その後リディア、新バビロニアを滅ぼしてアケメネス朝を創始した。
・第2代
カンビュセス2世(在位紀元前530~紀元前522)はエジプトを征服後、全オリエントを統一する。
・第3代
ダレイオス1世(在位紀元前522~紀元前486)は、東のインダス川から西のエーゲ海北岸にいたる広大な領土を治めるため、全国を20の州に分けて
サトラップ(知事)を各地に派遣して徴税と治安維持を命じた。また、サトラップを観察するために、
「王の目」、「王の耳」という王直属の監察官を派遣し、中央集権体制を作り上げた。その他にも、スサからサルデスに至る2500kmに及ぶ「
王の道」を整備し、
ペルセポリスという壮大な王都を建設した。
・アケメネス朝は大帝国を作り上げたが、ダレイオス1世が始めたギリシアとの
ペルシア戦争に敗れ、次第に衰退していった。
・イラン独自の宗教としては、紀元前
7世紀頃に創始された
ゾロアスター教が挙げられる。
善悪二元論に基づき、善神
アフラ=マズダと悪神
アーリマンの対立が信仰の対象となり、火を崇拝したので
拝火教と呼ばれる。ゾロアスター教は後に
北魏に伝わり、中国では
祆教と呼ばれた。
・楔形文字解読のきっかけは、
ペルセポリス碑文を研究したドイツの学者
グローテフェントが見つけ、後に
ベヒストゥーン碑文をイギリスの学者
ローリンソンが研究し、解読に成功する。
・アレクサンドロス大王の東方遠征の際、紀元前
331年の
アルベラ(ガウガメラ)の戦いで
ダレイオス3世が敗走後暗殺され、アケメネス朝は滅亡した。
セレウコス朝、バクトリア、パルティア
・アレクサンドロス大王は、東方遠征の結果インダス川流域や中央アジアを含む広大な領土を治めたが、その後アレクサンドロスが死ぬと、ディアドコイという後継者たちが争い、
セレウコス朝シリア、プトレマイオス朝エジプト、アンティゴノス朝マケドニアなどが分立した。
・
セレウコス朝シリア(紀元前312~紀元前63)は、西アジアの大領土を有したが、その後アム川上流域のギリシア系住民が独立し、
バクトリア(紀元前255~紀元前139)を建国した。また、カスピ海南東で
アルサケス朝パルティアが独立すると衰退し、最後は紀元前1世紀に
ローマに滅ぼされた。
・バクトリアはヘレニズム文化をインドに伝え、その後
シャーナ朝ク時代のインドで
ガンダーラ美術が生まれるきっかけとなった。
・バクトリアは、
スキタイ系の
トハラ人に滅ぼされた。
・パルティアは
ミトラダテス1世の時代に王都
クテシフォンを中心に栄え、セレウコス朝滅亡後ローマと争い、東方では
漢と「絹の道」をつないだ。
ササン朝(226~651)
・ササン朝は、
イラン系の国家で、
パルティアを滅亡させた後建国された。都
クテシフォンを中心に栄え、
ゾロアスター教を国教化し、ローマ・東ローマと争った。
・ササン朝第2代の
シャープール1世(在位241~272)は、東方で
クシャーナ朝を破り、西方で
エデッサの戦いでローマ皇帝
ヴァレリアヌスを捕虜にするなど、隆盛を誇った。
・5世紀になると、中央アジアの騎馬民族
エフタル(中国名:白匈奴)が侵入し、一時国力が低下した。
・
ホスロー1世(在位531~579)の時代になると、ササン朝は突厥と組んでエフタルを滅ぼし、東ローマ帝国の
ユスティニアヌス帝と争うなど、最盛期を迎えた。
・その後ホスロー2世の時代に、東ローマ帝国の
ヘラクレイオス1世に敗れると衰退し、最終的に
ニハーヴァンドの戦いでイスラーム軍に敗れ滅亡した。
・日本に伝わったササン朝美術としては、法隆寺の
獅子狩文錦や正倉院の
漆胡瓶が有名。
・西アジアの文字は、楔形文字に代わり
アラム文字が使われ、その後中央アジアでこれを元に
ソグド文字が発明された。