◯人物
イマヌエル・カントは1724年、ドイツのケーニヒスベルクに生まれた哲学者。敬虔なキリスト教の家庭で育ち、母校のケーニヒスベルク大学で教鞭を執り、ほとんどこの地を離れること無く静かに暮らしていた。まるで精巧な時計のように規則正しい生活を送っており、日課である午後三時半の散歩は、周囲の人がその姿を見て時計を合わせていたと言われる。とは言ってもカントはいわゆる堅物ではなく、学生や友人を集めてよく食事をし、その際には豊富な話題とウィットに富んだ語り口で周囲を楽しませたという。57歳まで目立った活動は無かったが、1781年に『純粋理性批判』を発表して独自の立場を確立し、その後立て続けに重要な著作を発表していった。晩年は身体的・精神的に衰弱し、最期に砂糖水で薄めたワインを口にし、「これでよい(Es ist gut.)」と言い残して息を引き取った。1804年、79歳没。
カントははじめニュートンの物理学、ライプニッツやヴォルフの哲学などを学び、デカルトに始まる合理論的な立場を取った。だが、ある時経験論者であるヒュームの書を読むことで、「独断のまどろみ」を破られるという強い衝撃を受けた。すなわち、外界に因果関係に従って運動する物体が存在するという合理論の「独断」的な態度が、それらは人間の想像力が生み出した習慣にすぎないとするヒュームの懐疑論によって喝破されたのである。また、ルソーの極めて肯定的な人間観にも影響を受けており、ある日ルソーの『エミール』に没頭したことで、前述した日課の散歩を忘れてしまったという逸話もある。ルソーはカント哲学における人間観に大きな影響を与え、カント自身はルソーから「人間を尊敬することを学んだ」と言い表している。
カントの哲学史上の位置づけとしては、大きく分けて二つの側面があると言えるだろう。第一に、大陸合理論とイギリス経験論を批判的に解釈し、一つの理論に総合したという側面がある。経験論は経験をしか認めないから、他のあらゆるものを否定してゆき、ついには懐疑論に陥ってしまう。そこでは形而上学はもとより自然科学すら確実ではないので、我々は何も知ることも認識することも無いということになる。他方、合理論は「合理」の名の下に独断的な態度に陥る。カントはこうした経験論と合理論を批判的に検討し、両者をある程度は認めながら総合することで、新たな哲学的立場を形成したのである。これはカントの哲学を指す場合、通常批判哲学と呼ばれる。すなわち、人間の理性や認識はどこまで可能なのかを明らかにし、その範囲を超えたものは信仰や希望の世界なので、独断的に判斷することを控えるような立場である。なお、この批判哲学の名前には別の由来もあり、カントの重要な三つの著作である『純粋理性批判』『実践理性批判』『判断力批判』の書名からも来ている。この三冊はまとめて三批判書と呼ばれている。
第二の側面は、第一の側面と表裏一体である。カントの批判哲学は新たな哲学的立場、すなわちドイツ観念論を形成した。ドイツ観念論とは、自然に対して精神の立場を守ろうとする立場であり、カントの哲学を受け継ぎながら、現象界と英知界(感性界と超感性界)の二元論を克服するような方向の哲学である。すなわち、カント哲学に残された問題、現象界と英知界がどのような根拠によって統一的に理解されるのか、どのような連関を持っているのか、といった問題を解決するような方向性を持った哲学であり、この系列に位置づけられるのはフィヒテ、シェリング、ヘーゲルなどである。
なお、カントは『永遠平和のために』の中で常備軍の全廃、国際法と国際平和機構の必要性を説き、国連を構想したことでも知られている。
◯著作
『純粋理性批判』『実践理性批判』『判断力批判』『プロレゴーメナ』『道徳形而上学原論』『単なる理性の限界内における宗教』『永遠平和のために』『啓蒙とは何か』
「人は哲学を学ぶことはできない・・・・・・哲学することを学ぶことができるだけである。」(『純粋理性批判』)
「善意志はあたかも宝石のようにその全価値をみずからのうちに蔵するものとして、それ自身だけで煌々と輝くのである。」(『道徳形而上学原論』)
「それを考ることしばしばにしてかつ長きに及ぶに従い、つねに新たなるいや増す感嘆と畏敬とをもって心を満たすものが二つある、我が上なる星繁き空と、我が内なる道徳的法則、これである。」(『実践理性批判』)
◯思想
カント哲学は非常に難解で内容豊富なため、詳細な記述は避け、極力平易な記述をすることとする。以下ではカントのの認識論、主に『純粋理性批判』における思想内容を簡単に概説する。
カントは合理論と経験論を批判的に受け継ぎ、「人間は何を(どこまで)知ることができるか」という問いに答えようとしたと言える。つまり、経験論のように「何も知ることはできない」、あるいは合理論のように「合理的に考えればあらゆることを知ることができる」といった極端な結論を避けようとしたのである。これを明らかにするためには、認識を担う(理論)理性の能力を吟味する必要がある。こうした点から、カントの認識論に『純粋理性批判』の名が付けられたのである。
カントは、我々の認識能力には何らかの先天的(ア・プリオリ)な形式があるのではないかと考えた。我々は経験によって様々な現象を感覚として受け取ることができるが、その経験の受け取り方には一定の形式が存在する。例えば、我々は目の前にあるコーヒーを見る時、すなわち認識する時、ある人間特有のフィルターのようなものを通して認識する。コーヒーは目の前に「ある」ものなので、空間という形式を通して我々は認識する。コーヒーは「今」見ているものなので、時間という形式を通して認識する。コーヒーはマグカップ一杯分の「量」を持って目の前にある、すなわち「量」という形式を通して認識する。といった具合に、我々は「時間」「空間」「量」のようなフィルターを通してしか認識することができない。空間のないコーヒーや量のないコーヒーというものは認識することができないのであり、したがってこのような認識における形式は我々が経験に先立って持っているものである。このうち、時間と空間は直観ないしは感性・感覚におけるフィルターであり、「量」や「質」、「関係」といったフィルターは悟性におけるフィルターである。カントにおける悟性とはこのフィルターによって、感性に与えられるものを人間に認識できるようにする能力のことを意味する。このフィルターのようなもののことを、カントはカテゴリーと呼ぶ。つまり、人間は感覚したものをカテゴリーに当てはめることで現象を認識するのである。
カントは更に進んで、「認識が対象に従うのではなく、対象が認識に従う」と考えた。これまで、何か認識するものが外界に存在(実在)し、その上でそれを認識するとはどういうことかが問題となってきた。しかしカントはこれを逆に考えた。すなわち我々が何かを認識するということは、何か認識のもととでも言えるようなものが我々に与えられ、それを感性や悟性のカテゴリーによって構成することで初めて可能となるのである。その意味で、認識する対象は我々が認識することによって初めて存在すると言えるのだ。このような逆転現象は、認識のコペルニクス的転回と言う。コペルニクスが地動説によって天文学を大転換したように、カントは批判哲学によって認識論はもとより哲学を大転換したといえる。
では、「認識のもと」を与えるものとは一体何なのだろうか。カントによれば、我々は感性や悟性を通してしか現象を認識することはできない。とすれば、認識の範囲の外にある「認識のもと」のようなものを、我々は決して捉えることはできないのだと言える。カントはこの現象の根源である「認識のもと」を物自体と呼び、物自体の世界と現象界とを区別した。
以上のような哲学によって、カントはこれまでの形而上学を否定する。つまり、独断的に色々なことを語りつくそうと考えてしまえば、神の恩寵だとか運動は不可能であるとかいった誤謬に陥ってしまう。ただ、こうした形而上学を退けて満足しなかったのがカントの偉大な点である。カントは形而上学が不可能であるとしたのではない。カントが「わたくしは信仰に場所をあけるために知識を取り除かなければならなかった」と言っているように形而上学、すなわち物自体の世界を知るための道は道徳・倫理学の領域においてであると考えたのである。こうしてカントは『実践理性批判』で道徳哲学を展開するに至る。