五月の御精進のほど
其の一
二日ばかりありて、その日のことなど言ひ出づるに、宰相の君、
「いかにぞ、手づからおりたりといひし、下蕨(わらび)は」
とのたまふを聞かせ給ひて、
「思ひ出づることのさまよ」
と笑はせ給ひて、紙のちりたるに、
下蕨こそ恋しかりけれ
とかかせ給ひて、
「本いへ」
と仰せらるるもいとをかし。
公郭(ほととぎす)たづねて聞きし声よりも
とかきて参らせたれば、
「いみじううけばりけり。かうだにいかで公郭のことをかけつらむ」
とて笑はせ給ふもはづかしながら、
「なにか。この歌よみ侍らじとなむ思ひ侍るを。もののおりなど人のよみ侍らむにも、『よめ』など仰せられば、えさぶらふまじき心地なむし侍る。いといかがは、文字の数しらず、春は冬の歌、秋は梅花の歌などをよむやうは侍らむ。なれど、歌よむといはれし末々は、すこし人よりまさりて、『そのおりの歌はこれこそありけれ。さはいへど、それが子なれば』などいはればこそ、かひある心地もし侍らめ。露とりわきたるかたもなくて、さすがに歌がましう、我はと思へるさまに、最初(さいそ)によみ出で侍らむ、なき人のためにもいとほしう侍る」
とまめやかに啓すれば、笑はせ給ひて、
「さらば、ただ心にまかす。われらはよめともいはじ」
とのたまはすれば、
「いと心やすくなり侍りぬ。いまは歌のこと思ひかけじ」
などいひてあるころ、庚申せさせ給ふとて、内の大殿(おほい)いみじう心まうけせさせ給へり。
夜うちふくるほどに、題出(い)だして女房も歌よませ給ふ。皆けしきばみ、ゆるがしいだすも、宮の御前近くさぶらひて、もの啓しなど、ことごとをのみいふを、大臣(おとど)御覧じて、
「など歌はよまで、むげに離れゐたる。題取れ」
とて給ふを、
「さることうけたまはりて、歌よみ侍るまじうなりて侍れば、思ひかけ侍らず」
と申す。
「ことやうなること。まことにさることやは侍る。などかさはゆるさせ給ふ。いとあるまじきことなり。よし、こと時はしらず、今宵はよめ」
などせめさせ給へど、けぎよう聞きも入れでさぶらふに、みな人々よみいだして、よしあしなど定めらるる程に、いささかなる御文をかきて、なげ給はせたり。見れば、
元輔がのちといはるる君しもや 今宵の歌にはづれてはをる
とあるを見るに、をかしきことぞたぐひなきや。いみじう笑へば、
「何事ぞ、何事ぞ。」
と大臣もとひ給ふ。
「その人ののちといはれぬ身なりせば今宵の歌をまづぞよままし
つつむことさぶらはずは、千の歌なりとこれよりなむ出でまうでこまし」
と啓しつ。