蜻蛉日記
かくはかなながら、年たちかへるあしたにはなりにけり
かくはかなながら、年たちかへるあしたにはなりにけり。年ごろ、あやしく、世の人のする言忌(こといみ)などもせぬところなればや、かうはあらんと、とくおきてゐざり出づるままに、
「いづら、ここに人々今年だにいかで言忌(こといみ)などして世の中こころみん」
といふをききて、はらからとおぼしき人、まだふしながら
「物きこゆ。あめつちをふくろにゐひて」
と誦(ず)するに、いとをかしくなりて、
「さらに身には、三十日三十夜(みそかみそよ)は我がもとに、といはむ」
といへば、まへなる人々わらひて、
「いとおもふやうなることにも侍るかな。 おなじくはこれをかかせたまひて、殿にやはたてまつらせ給はぬ」
といふに、ふしたりつる人もおきて、
「いとよきことなり。天下(てんげ)のえほうにもまさらん」
などわらふわらふいへば、さながらかきて、ちゐさき人し てたてまつれたれば、このごろ時の世の中人にて、人はいみじくおほくまゐりこみたり。内裏(うち)へもとくとて、いとさはがしげなりけれど、かくぞある。今年は五月二つあればなるべし。
年ごとにあまればこふる君がため うるふ月をばおくにやあるらん
とあれば、祝ゐそしつと思ふ。