東アジアの自立化で押さえておきたいポイント
※赤字部分が問題に出そうな部分です。赤色の暗記シートなどで隠して見てください。
遼・西遼(契丹)
・
契丹とは、モンゴル系の遊牧民で、キタイやキタンとも呼ばれた。キタイはのちに西方に伝わり、
Khatai(Cathay)として中国の別名となる。
・唐の支配が衰退した
10世紀に、契丹の指導者
耶律阿保機が諸部族を統合し、初代皇帝として
遼(916~1125)を建国した。耶律阿保機は多くの漢人を登用し、西方の
突厥や
ウイグル、タングートに遠征し、
926年には中国東北地方にあった
渤海国を滅ぼした。
・遼の第2代皇帝
耶律堯骨は、五代十国時代の
後晋の
石敬瑭が国を建国する際に協力し、その見返りとして
936年に
燕雲十六州を獲得した。また、その後
947年には
後晋を滅ぼした。
・
1004年、
宋の
真宗と
遼の
聖宗が
澶淵の盟を結んだ。宋を兄、遼を弟としたこの講和条約により、以後宋は毎年絹20万匹、銀10万両を遼に送り、国境を維持した。
・遼は契丹人を遊牧民の部族制で管理する
北面官、定着農民の漢人を中国的な
州県制で統治する
南面官という2つの官庁を作り、国を統治した。これを
二重統治体制という。当初契丹人の北面官が南面官よりも上位に立ったが、次第に漢化していった。また、統治策の一つとして
五京の制度を行った。
・契丹は文化面で、ウイグル文字をベースとした
契丹文字を作った。
・
1125年に遼が
金に滅ぼされると、王族の一員だった
耶律大石が
中央アジアのトルコ系イスラーム王朝
カラ=ハン朝を破り、
西遼(1132~1211)を建国した。西遼はイスラーム勢力から黒契丹という意味の
カラ=キタイと呼ばれ、都
ベラサグン(フス=オルダ)を中心に栄えたが、最後は
ナイマンに滅ぼされた。
西夏(タングート)
・
タングートとは、
チベット系の民族で、
吐谷渾や
隋・唐に挟まれ、
吐蕃に圧迫されていたが、宋代になり、
李元昊が初代皇帝として
西夏(大夏)(1038~1227)を建国した。都
興慶府を中心に
中継貿易で栄えたが、最後は
チンギス=ハンにより滅ぼされた。
・李元昊は漢字を模した独自の
西夏文字を作った。
金(女真)
・
女真とは、
中国東北部に居住していた
ツングース系の民族で、10世紀に
遼の支配下にあったが、女真族の一部の完顔部から
完顔阿骨打という指導者が出て民族統一を果たし、
12世紀はじめに
金(1115~1123)を建国した。都は
上京会寧府に定められた。
・完顔阿骨打は軍事行政組織として
猛安・謀克制を整備し、
完顔希伊に命じ、契丹文字と漢字をもとにした
女真文字を作らせた。また対外的に宋と同盟を結び、遼を攻撃した。
・第2代
大宗は
1125年に
遼、
1127年に
北宋を滅ぼし、後に成立した
南宋を圧迫した。1123年に完顔阿骨打が占領した
燕京(現在の北京)は、
1153年に第
4代
海陵王が
中都と改名し遷都した。中都は
1214年まで都となった。
・金代には
王重陽を祖する
全真教や、
五斗米道(天師道)が改称された
正一教など新たな道教が成立した。
・金では、宋の交子をもとにした
交鈔が元代まで紙幣として用いられた。
・金は中国的な国家を作り隆盛を誇ったが、最終的に
1123年
オゴタイ=ハンに滅ぼされた。
ベトナム
・ベトナムでは、
李公蘊が宋を撃退し、
李朝(大越国)(1009~1225)を建国した。首都
昇竜(現在のハノイ)を中心に栄え、仏教や儒教など中国文化を取り入れ繁栄し、
大理や
チャンパーにも遠征した。
・李朝は外戚の陳氏によって倒され、新たに
陳朝(1225~1400)が開かれた。陳朝時代には中国の
科挙や行政制度が取り入れられ、仏教が盛んになった。
モンゴル軍の侵入を3度撃退し、漢字をもとにした
字喃(チュノム)が作られた。
朝鮮
・朝鮮では、新羅末の武将
王建が有力となり、
高麗(918~1392)を建国した。都
開城を中心に栄え、
935年に
新羅、
936年に
後百済を滅ぼし、朝鮮半島を統一した。
・高麗では文班・武班からなる
両班という特権階級が生まれ、文化的には木版印刷を用いた
高麗版大蔵経、高宗の時代の
金属活字、
高麗青磁や
象嵌青磁などが作られ繁栄したが、最終的に高麗の武将
李成桂に滅ぼされた。
日本
・日本では平安京遷都から鎌倉幕府成立までの
平安時代(794~1192)を迎え、
藤原氏による
摂関政治が行われた。
894年には
菅原道真の献言で
遣唐使が廃止され、その後
国風文化が花開いた。
・平安時代末期には
平清盛率いる平氏が政権をにぎり、武家政権が誕生した。平安後期から鎌倉中期には、日本と宋の間に
日宋貿易が活発となり、
宋銭や
宋磁が取引された。その後
12世紀には
日本・南宋・高麗の間に貿易が盛んになり、
東アジア貿易圏が生まれた。