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18_80 東アジア世界の形成と発展 / 東アジア諸地域の自立化(東アジア、契丹・女真、宋の興亡)

宋代の社会と文化(宋学、朱子学、院体画、宋磁、火薬・羅針盤の発明など) 受験対策問題 28

著者名: レキシントン
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宋代の社会と文化で押さえておきたいポイント

※赤字部分が問題に出そうな部分です。赤色の暗記シートなどで隠して見てください。

宋代の社会

・宋代に入ると、五代十国の武断政治から文治主義へと変わり、官僚が重要な役割を担うようになった。

・宋代以降、科挙の合格者を出した家を官戸といい、役の減免などの特権が一代限りで与えられた。また、新興の地主層として形勢戸も出現し、官戸形勢戸として多くの官僚を輩出し、社会的支配層となっていった。

・社会的支配層だった地主や官僚は、荘園を保有し、佃戸という耕作者を使用し利益を上げた。また、この時代ベトナムのチャンパーから占城稲という稲がもたらされ、囲田(圩田・湖田ともいう)という水利田を中心に稲作が進んだ。宋の中期以降稲作が長江下流域蘇州湖州などで盛んになり、この様子は「蘇湖(江浙)熟れば天下足る」と表現された。なお、明・清代には稲作の中心地が長江中流域に移り、「湖広熟すれば天下足る」といわれた。

・中国の歴代王朝では城壁の内側のに対して、城外の草市が非公認の交易所として発生した。宋代に入ると、これら各地の草市が発展しという地方の小都市やに発展していった。

・宋代では交易が活発に行われ、世界ではじめて交子という紙幣が製作された。この紙幣は唐の飛銭から発達し、北宋時代に四川の成都で用いられ、後に政府が紙幣として発行した。南宋時代になると、会子という紙幣に変わったが、のちに盛んに発行され、南宋の経済を崩壊させていった。紙幣以外にも、宋銭(銅銭)という開元銭を元にした貨幣が作られ、遠く日本までもたらされた。

・商工業の発展とともに、同業商人の相互扶助を目的としたや手工業者の同業組合のが各地に作られた。

・唐代に、広州にはじめて設置された市舶司は長らく海上貿易を司り、宋代に整備され泉州・温州・明州・杭州・秀州・密州など各地に設置された。これにより南海貿易が盛んになり、イスラーム商人や中国商人など、国際的な交易が行われるようになった。

・漢の時代に伝わったは、魏晋南北朝時代に江南隋・唐代に広西・陝西に広まり、一般民衆に普及した。宋代になると喫茶の習慣は周辺民族にも広がり、茶の専売がたびたび行われるようになった。また、広西省北部には景徳鎮という窯業都市が唐・宋代に発達し、世界的に有名な陶磁器を作るようになった。

宋代の文化

・宋代には、新しい儒学として宋学が生まれた。宋学とは。唐で成立した『五経正義』以降、訓詁学のみが主流の学派となっていることに反発し、理気二元論に基づく実践倫理の新しい思想として宋学が成立した。宋学は『太極図説』を書いた北宋周敦頤が創始し、同じく北宋の程顥・程頤兄弟に受け継がれ、南宋の儒学者朱熹(朱子)によって大成された。朱熹(朱子)は四書を儒学の根本経典とし、格物致知説、理気二元論、性即理説、大義名分論などを説き、『四書集柱』『資治通鑑綱目』などを著した。このように、宋学は朱熹(朱子)によって完成されたため、朱子学とも呼ばれる。

・宋代に活躍した主な学者・政治家は以下である。

周敦頤北宋の儒者で、宋学の創始者。『太極図説』を著す。
程顥北宋の儒者で、王安石の新法に反対した。
程頤北宋の儒者で、理気二元論を説いた。
朱熹朱子とも言う。南宋で宋学(朱子学)を大成。『四書集柱』『資治通鑑綱目』を著す。
陸九淵陸象山ともいう。南宋の儒者。朱熹と対立し、のちの陽明学に影響を与える。
司馬光北宋の儒者・政治家。旧法党の中心。『資治通鑑』を著す。
欧陽脩北宋の政治家。『新唐書』『新五代史』を編纂。
蘇洵北宋の学者。『太常因革礼』を編纂。
蘇軾北宋の詩人・政治家。王安石の新法に反対した。「赤壁の賦」を詠んだ。
蘇轍北宋の政治家。王安石の新法に反対した。
曾鞏北宋の政治家。王安石と親交があったが、新法には反対した。


・唐から宋にかけて活躍した、唐の韓愈、柳宗元、宋の欧陽脩、蘇洵、蘇軾、蘇轍、曾鞏、王安石の八人を唐宋八大家といい、このうち蘇洵、蘇軾、蘇轍は親子(それぞれ父、長子、次子)であり、これを三蘇ともいう。

・宋代には周辺諸国の外圧が高まったため、中華思想・華夷思想という考えがひろまった。

・文学や演劇の分野でも、雑劇といった新しい文化がはじまった。

・唐の玄宗が設置した画院(翰林図画院)は、五代、宋代に奨励され、宮廷絵画の発達に多大な貢献をした。画院に所属した画家が中心となり描いた絵画を院体画といい、絵画の専門家でない文人が描いた絵画を文人画という。院体画を北宗画(北画)、文人画を南宗画(南画)ともいう。文人画が元代末に完成され、南宗画となった。宋代の著名な画家は以下である。

徽宗北宋の皇帝・画家。「桃鳩図」を描いた。
夏珪南宋の院体画家。山水画を得意とした。
馬遠南宋の院体画家。夏珪と並び、山水画を描いた。
梁楷南宋画院の画家。元筆体という画法をつくった。
李公麟北宋の文人画家。「五馬図」を描いた。
米芾北宋の文人画家。宋代四大家の1人。
牧谿宋末、元初の画家・禅僧。室町時代日本の水墨画に影響を与えた。


・この時代、喫茶の習慣が中国のみならず周辺諸国経も広がり、同時に陶器も発達し、宋磁が盛んに作られた。宋磁は青磁白磁があり、ともに海外に輸出され、美しい美術工芸品として各地で重宝された。

・宋代の発明としては、硝石・硫黄・木炭を混合して作る火薬や、羅針盤(磁針)木版印刷などがあった。11世紀後半の北宋に生きた畢昇は、活版印刷を発明したとされる。

・宋の太祖は、仏教経典の集大成である『大蔵経』を木版印刷し、成都で刊行したとされる。
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・宋代の社会と文化(宋学、朱子学、院体画、宋磁、火薬・羅針盤の発明など) 受験対策問題 28

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『世界史B 用語集』 山川出版社
『教科書 世界史B』 山川出版社

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