遊牧民族とオアシス国家の盛衰で押さえておきたいポイント
※赤字部分が問題に出そうな部分です。赤色の暗記シートなどで隠して見てください。
内陸アジアの遊牧国家
・羊や牛、馬などの家畜を放牧しながら、内陸アジア各地を移動した
遊牧民は、次第に部族単位でかたまり、さまざまな遊牧国家を建国した。
騎馬戦術を獲得した
スキタイ・匈奴・突厥・モンゴルなどの騎馬遊牧民は、周辺各地を征服・略奪しながら国家を運営していった。以下の地域が、遊牧民族が活躍した主要な地域である。
草原の道 | カザフ・南ロシア草原・アルタイ山麓・モンゴル高原を結ぶ東西交通路。スキタイ・匈奴・突厥・モンゴルが活躍。 |
陰山山脈 | 内モンゴル南部にある山脈。匈奴が支配し、南方には万里の長城が築かれた。 |
天山山脈 | パミール高原の山脈。山脈を挟んだ天山北路、天山南路のそばにはオアシス都市が建設された。 |
タリム盆地 | 天山山脈、崑崙山脈、パミール高原に挟まれた盆地。 |
タクラマカン砂漠 | タリム盆地に存在する大砂漠。 |
崑崙山脈 | チベット高原からタクラマカン砂漠にかけて走る山脈。北麓に西域南路が建設された。 |
甘粛 | 黄河上流の地域。シルクロードにつながる地域で、西部には中国の都市敦煌が建設された。 |
スキタイ・匈奴・烏孫・東胡・月氏
・スキタイ
スキタイは、紀元前6世紀から紀元前4世紀ころに、ロシア南部の草原地帯に住んでいた騎馬遊牧民であり、
ギリシア・イランから影響を受け、動物模様や黄金を使用した
スキタイ文化をのこした。
・匈奴
匈奴は、紀元前4世紀末から紀元後1世紀にモンゴル高原を支配した騎馬遊牧民である。トルコもしくはモンゴル系とされ、スキタイから騎馬文化を継承し、周辺民族を支配し、大国家を建設した。
冒頓単于(紀元前209〜紀元前174)という君主の時代に最盛期となり、
東胡・月氏を破り、中国
前漢の
高祖を
平城で包囲し、中国側と講和を結んだ。
・東匈奴、西匈奴
紀元前
60年頃に、匈奴は
東匈奴と
西匈奴に分裂した。東匈奴は
漢に服属し、漢軍とともに紀元前36年に西匈奴を滅ぼした。
・南匈奴、北匈奴
西匈奴を滅ぼし、内モンゴルを支配した東匈奴だったが、紀元後
48年に、今度は南北に分裂し、新たに
南匈奴と
北匈奴にわかれた。南匈奴は
後漢に服属し、その後
五胡十六国時代に
五胡の一つとして中国の
華北に侵入した。また北匈奴は
後漢に攻撃され、イリ地方、カザフ草原に移動し、その後消息不明となる。4世紀ヨーロッパに進撃した
フン族は、この北匈奴の一派とする説がある。
・烏孫
トルコ系とされる遊牧民で、はじめ匈奴に服属していた。のちに
月氏を追放し、ジュンガリア地方からイリ地方に移動した。前漢が派遣した
張騫の使節を受け入れ、その後同盟を結んだが、5世紀後半に
柔然の攻撃を受け衰退した。
・東胡
紀元前3世紀の内モンゴル東部の遊牧民族。
冒頓単于率いる
匈奴の攻撃で滅亡した。この民族から、のちの
烏桓や
鮮卑が出てきたと言われる。
鮮卑・柔然・エフタル・丁零
・鮮卑
モンゴルまたはトルコ系といわれる遊牧民で、はじめ匈奴の支配下にあった。2世紀に統一され全モンゴルを支配下におき、
五胡十六国時代に
五胡の一つとして華北に侵入し、鮮卑出身の
拓跋氏が
北魏を建国した。
・柔然
モンゴル系で、5〜6世紀のモンゴルを支配した遊牧民族。鮮卑が建国した
北魏と対立し、その後
突厥に滅ぼされた。柔然はそれまで匈奴や鮮卑・氐・羌で使用された単于にかわり、
可汗(カガン・ハガン)という君主号を用いた。可汗はモンゴルに継承され、ハン(カン)という君主号のもとになった。
・エフタル
5〜6世紀の西北インドの騎馬遊牧民族。東トルキスタンからイラン東部の広大な地域を支配したが、最後は
ササン朝ペルシアと
突厥に滅ぼされた。
・丁零
紀元前3〜紀元後5世紀まで、バイカル湖周辺とアルタイ山脈にかけて活躍したトルコ系遊牧民族。最初匈奴の支配下にあったが、のちに独立した。ジュンガリア地方に移動し、
高車という民族名になるが、6世紀に柔然とエフタルに挟撃され衰退した。また、その後、
鉄勒という民族名になるが、7世紀に東突厥に服属した。のちに鉄勒の一部族トクズ=オグズ族から
ウイグルが派生し、東突厥を滅ぼすこととなる。
突厥・ウイグル・キルギス
・突厥
柔然に服属していたトルコ系の騎馬民族だったが、6世紀中頃に
柔然を滅ぼして突厥を建国した。
ササン朝と協力し
エフタルを攻撃し繁栄したが、その後583年に分裂した。
・東突厥、西突厥
東突厥はモンゴル高原東部を支配したが、630年
唐に服属したのち、配下のウイグルに滅ぼされた。西突厥は中央アジアを支配したが、その後唐に服属した。
・ウイグル
突厥や唐の支配下にあったトルコ系騎馬民族だったが、744年に東突厥を滅ぼした後王国を建設した。
安史の乱をおこした唐の節度使安禄山や史思明はウイグル族出身であり、その後唐を援助した。840年にキルギスにより滅ぼされた。文化的にはマニ教信仰やアラム文字を元にしたウイグル文字を作った。ウイグル文字は後のモンゴル文字や満洲文字に影響を与えた。
・カルルク族
ウイグルに服属していたトルコ系遊牧民族だったが、のちに自立化し、ウイグルとともに突厥を滅ぼし、
カラ=ハン朝を建国した。
・キルギス
中央アジアの遊牧民族で、匈奴・突厥・ウイグルに服属した。840年ウイグルを滅ぼしたが、その後13世紀に
チンギス=ハンに滅ぼされた。
吐谷渾・吐蕃
・吐谷渾
4〜7世紀に、青海地域を支配したチベット系遊牧民族。支配者は鮮卑出身と言われる。635年に唐に服属後、663年に吐蕃に滅ぼされた。
・吐蕃
チベット系のソンツェン=ガンポが建国し、7〜9世紀にかけてチベットを支配した。インド・中国の両文化を受容しながら、独自のチベット文化を築き上げた。
オアシスと周辺地域
・中央アジア東南部には、ヒマラヤ・ヒンドゥークシュ・天山の各山脈が走り、インダス・アム・タリムの各川の源流が集まるパミール高原がある。パミール高原を境に、「トルコ人の地域」という西トルキスタンと東トルキスタンにわかれる。また、パミール高原からアラル海に流れるアム川、天山山脈からアラル海に流れるシル川と、2つの川に挟まれた地域を
ソグティアナという。
・砂漠や草原などに、湧き水が出るオアシスという地域がある。このオアシスは、ラクダを用いて砂漠地帯を進む隊商交易にとって重要な場所で、カナートという人工水路が整備され東西交通の要所となり、各地にオアシス都市ができた。主要なオアシス都市は以下である。
敦煌 | 甘粛省西端のオアシス都市。紀元前121年頃に前漢の武帝が敦煌郡を設置し、西域経営の最前線となる。 |
クチャ | 中国名:亀茲。タリム盆地北端の都市。漢代に西域都護府、唐代に安西都護府が設置された。鳩摩羅什の出身地。 |
ホータン | 中国名:于闐。タリム盆地南辺。先住民はアーリア系だが、漢代に栄え、仏教を中国に伝えた。 |
カシュガル | 中国名:疏勒。タリム盆地西部。天山南路の要地となった。 |
オアシス国家
・バクトリア
ギリシア系住民が
セレウコス朝シリアから独立し建国(紀元前255〜紀元前139年)。西北インドまで拡大したが、最後は大夏の侵入で滅亡した。
・大夏
バクトリアを滅ぼした後、現在のアフガニスタンにトハラ人が建国。中国名:大夏。紀元前1世紀に大月氏によって滅亡。
・大月氏
匈奴や烏孫によってバクトリア地方に逃れた月氏の一派が建国(紀元前140頃〜紀元後1世紀)。大夏を征服した。中国ではインドのクシャーナ朝も大月氏と呼ぶ。
・フェルガナ
イラン系住民がシル川上流に建国。中国名:大苑。汗血馬の産地で、張騫が派遣され、後に武帝が李広利を遣わし、汗血馬を手に入れた。
ソグティアナ
・アム川とシル川に挟まれたソグディアナは、
アケメネス朝やアレクサンドロス、バクトリア、大月氏、クシャーナ朝、ササン朝、エフタル、突厥、イスラーム王朝など多くの国家が乱立した。
・ソグディアナのイラン系ソグド人は、東西交易を担う商人などで、オアシス都市の建設やゾロアスター教、マニ教を中央アジアや東アジアに伝えるなど文化的にも重要な役割を果たした。ソグド人はソグド文字を残し、この文字は後に
ウイグル文字・モンゴル文字・満州文字のもととなった。
・ソグディアナの中心都市を
サマルカンド(康国)といい、東西交易の要所として長らく栄えた。
イスラーム王朝
・751年、高仙芝率いる唐の軍隊と、イスラームのアッバース朝が
タラス河畔の戦いを起こした。この戦いはアッバース朝が勝利し、捕虜となった製紙職人によって製紙法が西伝した。この戦い以降、イスラーム勢力が中央アジアに進出した。
・サーマーン朝
中央アジア初のイラン系イスラーム王朝として西トルキスタンに建国(875〜999)。カラ=ハン朝に滅ぼされた。
・カラ=ハン朝
サーマーン朝滅亡させたトルコ人によって建国(10世紀中頃〜12世紀中頃)。これ以降トルコ系民族にイスラーム教が広まった。
・セルジューク朝
シル川下流にトルコ人が建国(1038〜1194)。1055年
バグダットを支配し、イスラーム世界の中心国家となる。
・ホラズム朝
アム川下流域にトルコ人が建国(1077〜1231)。セルジューク朝を撃退し、イランやアフガニスタンを支配した。