東アジア文化圏と冊封体制で押さえておきたいポイント
※赤字部分が問題に出そうな部分です。赤色の暗記シートなどで隠して見てください。
東アジア文化圏
・中国、特に唐代に発達した
漢字や
儒教・仏教などの文化は、
朝鮮半島や
日本、ベトナム北部に多大な影響を及ぼした。この広大な文化圏を
東アジア文化圏という。
・中国は、
漢代以降周辺諸国と
朝貢を元にした形式的な君臣関係を結び、さらに交易のみを望む国には
朝貢形式をとり、国際秩序を形成していった。これを
冊封体制といい、長らく中国の周辺諸国に対する優位性は揺らぐことがなかった。
周辺諸国の状況
・隋や唐の時代、周辺諸国はさまざまな国家が栄えた。
チベット
・チベットには、
青海省に鮮卑系の
吐谷渾(4~7世紀)が存在したが、
635年に唐に服属した後、
吐蕃に討たれた。
・
7世紀には
ソンツェン=ガンポがチベット諸部族を統一し、
吐蕃(7~9世紀)を建国した。吐蕃は都
ラサを中心に栄え、唐と通交したが、のちに対立し、
安史の乱のあと一時的に
長安を占領する。
9世紀に唐と
会盟したが、内紛で衰退する。ソンツェン=ガンポは
中国と
インドの両文化を取り入れ、
グプタ文字をもとにした
チベット文字を作成させた。
・7~8世紀には、チベットに中国やインドから
大乗仏教が伝わり、チベット古来の
ボン教と融合した
チベット仏教が成立した。チベット仏教は一時的に廃仏されるが、
11世紀に再建され、
13世紀以降に
チベット大蔵経という経典が完成する。
14世紀に
ツォンカパが
黄帽派を確立し、それ以前の宗派を
紅帽派と呼ぶ。
雲南・東南アジア
・
雲南の地域には、
チベット=ビルマ系ロロ族の
南詔(?~902)が成立した。南詔は唐と吐蕃の間で繁栄し、唐の文化や仏教を受容し、
漢字を公用化した。
10世紀はじめ滅亡する。
・南詔のあと、雲南には
白蛮系の
大理国(937~1254)が建国され、
宋に朝貢したが、最後は
フビライ=ハンに滅ぼされた。
・
カンボジアには、
6世紀に
クメール人の国家
真臘が建国された。真臘は
7世紀に
扶南を併合、
8世紀に北部の
陸真臘と南部の
水真臘に分裂する。
9世紀には
アンコール=ワットを造営した
アンコール朝が出て再統一され、唐に朝貢した。
・
ベトナム南部には、
チャム人の国家
チャンパー(2世紀末~17世紀)が栄えた。チャンパーは中国名で
林邑と呼ばれ、隋に反抗ののち、唐に朝貢した。
・
スマトラ島東部には
シュリーヴィジャヤ王国(7~14世紀)が栄え唐に朝貢した。シュリーヴィジャヤ王国には、唐僧
義浄が帰りに立ち寄り、『
南海寄帰内法伝』を著した。
朝鮮
・朝鮮には、
ツングース系貊族によって建てられた
高句麗、
馬韓統一後建国された
百済、
辰韓統一後建国された
新羅の三国が鼎立していた。
・
7世紀に入ると、
唐と
新羅が同盟し、
高句麗・百済を滅ぼした。新羅はその後、
676年に唐の勢力を一掃し、朝鮮半島を統一した。その後唐の冊封をうけ、仏教や律令体制を受容した。新羅では都
慶州(旧名金城)を中心に
仏国寺や
石窟庵など仏教文化が栄えた。また
骨品制という身分制度を制定した。最終的に
高麗に滅ぼされた。
・高句麗滅亡後、
大祚栄により
渤海国が建国された。渤海国は都
上京竜泉府を中心に唐の文化を積極的に受容し、仏教も盛んになり、「
海東の盛国」と称された。
10世紀前半に
耶律阿保機率いる
契丹に滅ぼされた。
日本
・日本は
6世紀末から
7世紀にかけて、
飛鳥時代を迎えた。
聖徳太子が
推古天皇の摂政として活躍し、
百済からもたらされた
仏教文化をもとに、
寺院建造、遣隋使派遣、憲法十七条の制定などをおこなった。また、
607年には遣隋使として派遣された
小野妹子が、隋の皇帝
煬帝に対し、対等な立場を示した。その後唐の時代にも
遣唐使が派遣され、唐の文化を積極的に輸入した。
・
645年には、
中大兄皇子、
中臣鎌足らが中心となり、天皇中心の中央集権体制を目指す
大化の改新がおこった。大化の改新により、
公地公民制、班田収授法、租庸調制などが定められ、
701年の
大宝律令制定により律令国家体制が確立した。
・
663年には、滅亡した百済を救済するため、日本から水軍が派遣され、
白村江の戦いが行われたが、唐・新羅の水軍に完敗し、以後日本は朝鮮半島の勢力を失った。
・大化の改新から
平城京遷都までの文化を
白鳳文化という。
・
710年から
784年まで、日本は都が奈良に置かれた
奈良時代を迎えた。その後長岡京をへて平安時代へ移行した。奈良時代には、律令国家体制が整備され、
天平文化が栄え、国際的な貴族文化が盛んとなった。