唐の衰退と唐代の文化で押さえておきたいポイント
※赤字部分が問題に出そうな部分です。赤色の暗記シートなどで隠して見てください。
武韋の禍
・唐第 3代皇帝の 高宗(649~683)の后だった 則天武后は、高宗の死後に、子の 中宗・睿宗を廃し自ら聖神皇帝として 周(690~705)を建国した。則天武后は 中国史上唯一の 女帝として君臨し、 仏教保護、則天文字の作成、土木事業を行った。
・則天武后が老いるにつれ、廃位された 中宗が復位し、周はわずか15年でおわった。しかし中宗も政権を狙った自らの皇后 韋后に710年毒殺される。中宗を毒殺した韋后は、 睿宗の子 李隆基(のちの玄宗)に殺害された。則天武后と韋后による唐の混乱を、 武韋の禍という。
玄宗の治世
・ 李隆基は韋后の一族を退けたあと、父 睿宗を復位させ、その後禅譲され第 6代皇帝 玄宗(在位712~756)として即位した。玄宗の時代、「 開元の治」という安定期となり唐は最盛期を迎えるが、晩年 楊貴妃を寵愛し、政治が乱れ、 安史の乱が起こった。
・8世紀になると、大土地所有が増え 均田制が崩壊し、 府兵制の維持が困難となった。722年、玄宗が 募兵制を開始し、749年府兵制が廃止され全面移行した。
・玄宗は異民族の脅威に備え、 10節度使を配置した。節度使は次第に 藩鎮という独立した勢力となり、唐を衰退させる要因となった。
・ 751年、 高仙芝率いる 唐軍と、 アッバース朝イスラーム軍が交戦した タラス河畔の戦いが起こった。唐軍は完敗し、捕虜に製紙職人がいたためこれ以降 製紙法が西伝した。
安史の乱
・ ソグド系出身の節度使、 安禄山とその部下 史思明は、 平盧・范陽・河東の3つの節度使を兼任していたが、次第に 楊貴妃の従兄で宰相の 楊国忠と対立し、 755年 安史の乱を起こした。安禄山は 756年洛陽で 大燕を建てたが、子の 安慶緒に殺され、史思明も子の 史朝義に殺され、反乱は内紛によって崩壊した。
・安史の乱では、 トルコ系の ウイグルが唐を支援し、 ソンツェン=ガンポが建国した チベット系の 吐蕃が一時唐に侵入した。吐蕃は 9世紀に唐と 会盟を結んだ。
・安史の乱の最中、唐は 761年に財政を立て直すために 塩の専売を取り決めた。これにより財政は一時的に回復したが、塩の 密売人が各地に出るようになった。 均田制・租庸調制に代わり、 780年には 楊炎の建議をうけ 徳宗により 両税法が実施された。また、この時代 荘園という貴族の大土地保有が増え、 佃戸という小作人を使用し経営された。
黄巣の乱
・山東の塩の密売人 王仙芝の挙兵に呼応して、 875年 黄巣の乱(875~884)がおこる。 黄巣は 山東で挙兵し、王仙芝の死後軍を吸収し大反乱を起こし 880年 長安を占領後国号を 大斉とした。しかし、その後 突厥や藩鎮の軍事力を得た唐の反撃にあい、 884年に反乱は終結した。
・黄巣の乱の将軍だった 朱全忠は、一時唐にくだり、反乱軍の鎮圧を行った。しかし、901年 梁王となったあと、 907年に唐最後の皇帝 哀帝を廃位し、唐を滅亡させた。
唐代の社会と文化
・唐代、 渭水盆地の都 長安や 東都・東京と称された 洛陽などで 国際的な貴族文化が花開いた。交易の場として 市(城郭外には非公認の 草市)が設けられ、 飛銭という送金手形が発達した。 玄宗の時代には、 広州に初めて 市舶司が設置され、 揚州や 泉州など重要な海上交易都市は、 イスラーム商人との南海貿易で栄えた。陸上交易では ソグド人が活躍し、 ゾロアスター教や マニ教などが伝来した。
・唐では以下の文化人が活躍した。
王維 | 盛唐の詩人・画家。南宗画の祖。 |
李白 | 盛唐の詩人。一時玄宗に仕える。愛飲家で、詩仙と言われた。 |
杜甫 | 盛唐の詩人。「春望」「兵車行」を残し、詩聖と言われた。 |
白居易 | 中唐の詩人。「長恨歌」「琵琶行」を残した。 |
韓愈 | 中唐の学者で、唐宋八大家の1人。四六駢儷体を批判し、儒教の復興を主張。 |
柳宗元 | 中唐の文章家で唐宋八大家の1人。韓愈とともに古文の復興を主張。 |
閻立本 | 初唐の画家。人物画を描いた。 |
呉道玄 | 盛唐の画家。玄宗に仕え人物画、山水画を描いた。 |
李思訓 | 盛唐の画家。玄宗に仕え北宗画の祖ともいわれる。 |
欧陽詢 | 初唐の書家。初唐三大書家の1人。 |
虞世南 | 隋末、初唐の書家。大宗に仕えた。初唐三大書家の1人。 |
褚遂良 | 初唐の書家。初唐三大書家の1人。 |
顔真卿 | 盛唐の書家・政治家。楷書・草書を新しくした。 |
孔頴達 | 初唐の儒学者。『随書』『五経正義』を編纂。 |
顔師古 | 初唐の学者。『五経正義』の編纂に参加。 |
玄奘 | 唐僧。629年陸路、645年海路で帰国。ナーランダ僧院で学ぶ。『大唐西域記』を記す。 |
義浄 | 唐僧。671年海路、695年海路で帰国。シュリーヴィジャヤ王国で『南海寄帰内法伝』を記す。 |
阿倍仲麻呂 | 日本から留学し、玄宗に仕え安南節度使を務める。李白・王維と交流。 |
・唐代には 唐三彩という陶器が作られ、 陸羽によって茶道の古典『 茶経』が書かれた。
・この時代、仏教も以下の宗派にわかれた。
天台宗 | 隋の智顗が開祖。法華経を重んじた。日本へは最澄が伝えた。 |
真言宗 | 唐中期にインドから伝来。大日如来信仰。日本へは空海が伝えた。 |
禅宗 | 北魏に来朝したインド僧達磨が開祖。坐禅と瞑想を重視。中国仏教の主流になる。 |
浄土宗 | 東晋の慧遠が開祖。阿弥陀浄土信仰。唐代に善導が大成。禅宗とともに中国仏教の主流になる。 |
・また、そのほかにも、 北魏に伝わった ゾロアスター教が 祆教の名で広がり、 ウイグルの国教とされた マニ教(明教)、635年イラン人 阿羅本により広まった 景教(ネストリウス派キリスト教)など 唐代三夷教が広まった。また、イスラーム教も7世紀後半の 高宗のころ 回教の名で伝わった。781年の徳宗の時代には、漢字とシリア文字で景教の流行をたたえた 大秦景教流行中国碑が長安に建てられた。
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・唐の衰退と唐代の文化(玄宗、楊貴妃、安史の乱、黄巣の乱など) 受験対策問題 25
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『世界史B 用語集』 山川出版社 |
『世界史B 教科書』 山川出版社 |
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