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18_80 東アジア世界の形成と発展 / 東アジア文化圏の形成(隋・唐帝国と諸地域)

唐の衰退と唐代の文化(玄宗、楊貴妃、安史の乱、黄巣の乱など) 受験対策問題 25

著者名: レキシントン
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唐の衰退と唐代の文化で押さえておきたいポイント

※赤字部分が問題に出そうな部分です。赤色の暗記シートなどで隠して見てください。

武韋の禍

・唐第3代皇帝の高宗(649~683)の后だった則天武后は、高宗の死後に、子の中宗・睿宗を廃し自ら聖神皇帝として周(690~705)を建国した。則天武后は中国史上唯一女帝として君臨し、仏教保護、則天文字の作成、土木事業を行った。

・則天武后が老いるにつれ、廃位された中宗が復位し、周はわずか15年でおわった。しかし中宗も政権を狙った自らの皇后韋后に710年毒殺される。中宗を毒殺した韋后は、睿宗の子李隆基(のちの玄宗)に殺害された。則天武后と韋后による唐の混乱を、武韋の禍という。

玄宗の治世

李隆基は韋后の一族を退けたあと、父睿宗を復位させ、その後禅譲され第6代皇帝玄宗(在位712~756)として即位した。玄宗の時代、「開元の治」という安定期となり唐は最盛期を迎えるが、晩年楊貴妃を寵愛し、政治が乱れ、安史の乱が起こった。

・8世紀になると、大土地所有が増え均田制が崩壊し、府兵制の維持が困難となった。722年、玄宗が募兵制を開始し、749年府兵制が廃止され全面移行した。

・玄宗は異民族の脅威に備え、10節度使を配置した。節度使は次第に藩鎮という独立した勢力となり、唐を衰退させる要因となった。

751年、高仙芝率いる唐軍と、アッバース朝イスラーム軍が交戦したタラス河畔の戦いが起こった。唐軍は完敗し、捕虜に製紙職人がいたためこれ以降製紙法が西伝した。

安史の乱

ソグド系出身の節度使、安禄山とその部下史思明は、平盧・范陽・河東の3つの節度使を兼任していたが、次第に楊貴妃の従兄で宰相の楊国忠と対立し、755安史の乱を起こした。安禄山は756年洛陽で大燕を建てたが、子の安慶緒に殺され、史思明も子の史朝義に殺され、反乱は内紛によって崩壊した。

・安史の乱では、トルコ系のウイグルが唐を支援し、ソンツェン=ガンポが建国したチベット系の吐蕃が一時唐に侵入した。吐蕃は9世紀に唐と会盟を結んだ。

・安史の乱の最中、唐は761年に財政を立て直すために塩の専売を取り決めた。これにより財政は一時的に回復したが、塩の密売人が各地に出るようになった。均田制・租庸調制に代わり、780年には楊炎の建議をうけ徳宗により両税法が実施された。また、この時代荘園という貴族の大土地保有が増え、佃戸という小作人を使用し経営された。

黄巣の乱

・山東の塩の密売人王仙芝の挙兵に呼応して、875黄巣の乱(875~884)がおこる。黄巣山東で挙兵し、王仙芝の死後軍を吸収し大反乱を起こし880長安を占領後国号を大斉とした。しかし、その後突厥や藩鎮の軍事力を得た唐の反撃にあい、884年に反乱は終結した。

・黄巣の乱の将軍だった朱全忠は、一時唐にくだり、反乱軍の鎮圧を行った。しかし、901年梁王となったあと、907年に唐最後の皇帝哀帝を廃位し、唐を滅亡させた。

唐代の社会と文化

・唐代、渭水盆地の都長安東都・東京と称された洛陽などで国際的な貴族文化が花開いた。交易の場として(城郭外には非公認の草市)が設けられ、飛銭という送金手形が発達した。玄宗の時代には、広州に初めて市舶司が設置され、揚州泉州など重要な海上交易都市は、イスラーム商人との南海貿易で栄えた。陸上交易ではソグド人が活躍し、ゾロアスター教マニ教などが伝来した。

・唐では以下の文化人が活躍した。

王維盛唐の詩人・画家。南宗画の祖。
李白盛唐の詩人。一時玄宗に仕える。愛飲家で、詩仙と言われた。
杜甫盛唐の詩人。「春望」「兵車行」を残し、詩聖と言われた。
白居易中唐の詩人。「長恨歌」「琵琶行」を残した。
韓愈中唐の学者で、唐宋八大家の1人。四六駢儷体を批判し、儒教の復興を主張。
柳宗元中唐の文章家で唐宋八大家の1人。韓愈とともに古文の復興を主張。
閻立本初唐の画家。人物画を描いた。
呉道玄盛唐の画家。玄宗に仕え人物画、山水画を描いた。
李思訓盛唐の画家。玄宗に仕え北宗画の祖ともいわれる。
欧陽詢初唐の書家。初唐三大書家の1人。
虞世南隋末、初唐の書家。大宗に仕えた。初唐三大書家の1人。
褚遂良初唐の書家。初唐三大書家の1人。
顔真卿盛唐の書家・政治家。楷書・草書を新しくした。
孔頴達初唐の儒学者。『随書』『五経正義』を編纂。
顔師古初唐の学者。『五経正義』の編纂に参加。
玄奘唐僧。629年陸路、645年海路で帰国。ナーランダ僧院で学ぶ。『大唐西域記』を記す。
義浄唐僧。671年海路、695年海路で帰国。シュリーヴィジャヤ王国で『南海寄帰内法伝』を記す。
阿倍仲麻呂日本から留学し、玄宗に仕え安南節度使を務める。李白・王維と交流。


・唐代には唐三彩という陶器が作られ、陸羽によって茶道の古典『茶経』が書かれた。

・この時代、仏教も以下の宗派にわかれた。
天台宗隋の智顗が開祖。法華経を重んじた。日本へは最澄が伝えた。
真言宗唐中期にインドから伝来。大日如来信仰。日本へは空海が伝えた。
禅宗北魏に来朝したインド僧達磨が開祖。坐禅と瞑想を重視。中国仏教の主流になる。
浄土宗東晋の慧遠が開祖。阿弥陀浄土信仰。唐代に善導が大成。禅宗とともに中国仏教の主流になる。


・また、そのほかにも、北魏に伝わったゾロアスター教祆教の名で広がり、ウイグルの国教とされたマニ教(明教)、635年イラン人阿羅本により広まった景教(ネストリウス派キリスト教)など唐代三夷教が広まった。また、イスラーム教も7世紀後半の高宗のころ回教の名で伝わった。781年の徳宗の時代には、漢字とシリア文字で景教の流行をたたえた大秦景教流行中国碑が長安に建てられた。
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『世界史B 用語集』 山川出版社
『世界史B 教科書』 山川出版社

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