グプタ朝とラージプート時代で押さえておきたいポイント
※赤字部分が問題に出そうな部分です。赤色の暗記シートなどで隠して見てください。
グプタ朝
・
マウリヤ朝滅亡後、北インドの統一王朝として
グプタ朝がおこった。
チャンドラグプタ1世(在位320〜335頃)がマガダ国のあった現在のビハールで台頭し、王朝を作った。この
チャンドラグプタ1世は、マウリヤ朝を作ったチャンドラグプタ王とは別人である。
・第2代サムドラグプタの後、第3代
チャンドラグプタ2世(在位376〜415頃)の治世に、グプタ朝は最盛期となる。グプタ朝の領土は最大となり、都
パータリプトラを中心にサンスクリット文学やインド美術が発達し、
ヒンドゥー教が広まった。
・
チャンドラグプタ2世(中国名:超日王)の時代に、
東晋の僧
法顕(337〜422)がインドを訪れている。
法顕は
399年に長安を出発し、戒律の原典を求め陸路でインドに行き、
412年に
海路で帰国した。その後『
仏国記』を著した。
・グプタ朝衰退の原因となったのが、
5〜6世紀の中央アジアを本拠地としていた
エフタルという騎馬民族である。エフタルはトルキスタンやイランなどを含む地域を支配し、その後西北インドに侵入し、グプタ朝を攻撃した。グプタ朝は
550年頃滅亡し、その後エフタルも
突厥と
ササン朝の挟撃にあい、6世紀初めに滅亡した。
グプタ朝の芸術
・グプタ朝時代に発達したサンスクリット文学の代表的な作家が
カーリダーサで、
チャンドラグプタ2世の宮廷で活躍し、戯曲『
シャクンタラー』や叙情詩『
メーガドゥータ』を残した。
・グプタ朝が建立した著名な仏教学院として
玄奘や
義浄が学んだ
ナーランダー僧院がある。
・同時期、
ガンダーラ美術などギリシア風の様式から脱却した
グプタ様式が完成し、
アジャンター石窟寺院や
エローラ石窟寺院の壁画にその様子が見て取れる。他にも、
マトゥラーや
サールナートなど、重要な遺跡が残る。
インド宗教
・この時代に完成したのが、
ヒンドゥー教である。
ヒンドゥー教は、紀元前後以来、
バラモン教や各地の民間宗教が融合し、その後仏教の影響を受け成立した。秘密宗教となり民衆生活から乖離した仏教に代わり、
ヒンドゥー教はインドの日常生活の隅々まで関わる民俗宗教となっていった。
シヴァ、ヴィシュヌ、ブラフマーという三大神が信仰の主な対象となった。
シヴァ | 破壊神・創造神・舞踏の神。 |
ヴィシュヌ | 太陽神・世界維持の神。 |
ブラフマー | 世界の創造神。 |
・マウリヤ朝以降、ヴァルナごとの社会規範が書かれた
ダルマ=シャーストラという法典が現れる。代表的なものに『
マヌ法典』があり、バラモンの優位や女性差別などが書かれていた。
ヴァルダナ朝
・グプタ朝滅亡後、混乱する北インドに最後の統一王朝
ヴァルダナ朝が成立する。中国名で
戒日王と呼ばれた
ハルシャ=ヴァルダナ(在位606〜647)によって王朝がたてられた。
・
ハルシャ=ヴァルダナは都を
カナウジ(中国名:曲女城)に定め、ヒンドゥー教・仏教を手厚く保護した。また、自らサンスクリット戯曲を書き、文芸を奨励した。
・この時代に、インドを訪れたのが唐僧の
玄奘(602〜664)である。
629年
長安を発ち、ハルシャ=ヴァルダナの厚遇を受け
645年に帰国した。玄奘は帰国後
太宗の命を受け経典を漢訳し、自身の旅行記として『
大唐西域記』を記した。また、その後もう一人の唐僧
義浄(635〜713)が
671年
広州を出て
南海経由でインドへ赴き、
ナーランダー僧院で学んだ。その後
695年帰国し、途中滞在した
シュリーヴィジャヤ王国で『
南海寄帰内法伝』を著した。
・仏教は、秘密仏教となり衰退し、ベンガルを支配した
パーラ朝(750頃〜1155頃)によって保護されるが、その後ヒンドゥー教に吸収され、インドから姿を消した。
ラージプート時代
・ヴァルダナ朝滅亡後、北インドは
クシャトリアのカースト集団である
ラージプートの王国が乱立する。この
8世紀から
13世紀の時代を
ラージプート時代という。
プラティーハーラ王国(800頃〜1019) | カナウジを都とし、アラブ勢力の侵入を阻止する。 |
チャンデーラ王国(10〜11世紀) | プラティーハーラ王国から独立した王国。 |
チャーハマーナ王国(10世紀末〜1192) | イスラーム軍に滅ぼされる。 |
南インドの王朝
・南インドは、北インドとは異なり様々な王朝が分立していた。時代を経て、南インド
ドラヴィダ系の
タミル文化と北の
アーリヤ系文化が融合し、
ドラヴィダ様式が成立する。また、シヴァ神などヒンドゥー教の神へ絶対的な帰依を捧げる
バクティ信仰が広まった。
パーンディア朝(紀元前3世紀〜紀元後14世紀) | 最南端の王朝で、長い間独立を保つ。ローマとも交易した。 |
チェーラ朝(紀元前3世紀〜紀元後3世紀?) | ドラヴィダ系タミル人の国。 |
パッラヴァ朝(3世紀末〜9世紀末) | サータヴァーハナ朝衰退後に発展。 |
チャールキヤ朝(6世紀半〜8世紀半) | ドラヴィダ系でデカン高原を支配。ハルシャ=ヴァルダナを撃退した。 |
チョーラ朝(紀元前3世紀〜紀元後13世紀) | ドラヴィダ系タミル人の国。スリランカ支配やシュリーヴィジャヤ王国への遠征も行う。バクティ信仰が広まる。 |
シンハラ王国(紀元前5世紀頃〜1815) | アーリヤ系シンハラ人の国。スリランカを支配し、3世紀半ばに上座部仏教が伝わった。14世紀頃から衰退した。 |