東南アジアの諸文明で押さえておきたいポイント
※赤字部分が問題に出そうな部分です。赤色の暗記シートなどで隠して見てください。
東南アジアとは
東南アジアは、ユーラシア大陸につながる大陸部と、島々からなる島嶼部に分けられる。大陸部に属するのは、現在の国名で言えば
ミャンマー、タイ、ラオス、カンボジア、ベトナムの5カ国で、島嶼部に属するのは、
インドネシア、マレーシア、フィリピン、シンガポール、ブルネイ、東ティモールの6カ国である。
東南アジアは、インドと中国の中間地点だったことから、これら地域の影響を強く受けた。インドから
ヒンドゥー教や
仏教、中国から
漢字や
律令体制を受容し、独自の東南アジア文化圏が成立した。
モン人、ベトナム人、チャム人、クメール人、マレー人などが、東南アジアの主な民族である。
モン人
・モン人は、現在の
ミャンマー(旧ビルマ)や
タイに住んでいた先住民で、
インド文化を受容し、
モン文字という独自の文字を使った。モン人は次のような国家を建国した。
ドヴァーラヴァティ(6~8世紀頃) | メナム川流域に建国。唐へ朝貢し、上座部仏教を受容した。 |
ピュー(8世紀~9世紀) | イラワディ川流域に建国。9世紀南詔の攻撃で衰える。 |
パガン朝(1044~1287) | ビルマ初の統一王朝。上座部仏教を受容し、多くの寺院を建立した。シャン人の攻撃を受け、最後は元に滅ぼされる。 |
ベトナム人
・ベトナム人は、インドシナ半島東部(中国名で
越南)に住んでいた民族で、秦の始皇帝や漢の武帝の征服により、中国文明の影響を受けた。ベトナム人は次のような国家を建国した。
大越(ダイベド)国(1009~1225) | ベトナム初の統一国家。五代十国の混乱期、李公蘊が建国したため、李朝ともいう。首都は昇竜(現ハノイ)で宋軍を撃退。チャンパーに3度遠征した。 |
チャム人
・チャム人はマレー=ポリネシア系でインドシナ半島東岸に住んでいた人々のこと。
インド文化を受容し、
チャンパー(2世紀末~17世紀)を建国した。チャンパーは国名で、時代ごとに
林邑、環王(チャム人の一時的な自称)、占城と呼ばれた。
林邑(2~7世紀) | 192年に後漢から独立し、建国されたチャンパーの中国名。はじめ中国文化、のちにインド文化を受容した。隋の攻撃を受け、唐の時代に朝貢した。 |
占城(9世紀後半~15世紀後半) | 9世紀後半のチャンパーの中国名。10世紀以降ベトナム、11世紀以降アンコール朝、13世紀後半元朝、15世紀に黎朝(ベトナム)に征服され17世紀に滅亡した。 |
クメール人
・クメール人はメコン川流域に住んでいた人々で、
カンボジア人とも言う。マレー人との混血民族で、独自のクメール文化を築き、次のような国を建国した。
扶南(1~7世紀) | メコン川下流にクメール人またはマレー人が建国した国家の中国名。7世紀同じクメール人の真臘により滅ぼされる。 |
真臘(6~15世紀) | メコン川中流域にクメール人が建設した国家の中国名。8世紀に分裂し北の陸真臘、南の水真臘に分裂。アンコール朝のもと再統一、14世紀以降タイの勢力によって衰退。 |
・真臘の最盛期を現出した王朝が
アンコール朝で、
12世紀前半に、
スールヤヴァルマン2世(在位1113~1152頃)によって
ヒンドゥー教寺院として
アンコール=ワットが建立された。王都
アンコール=トムを中心に栄えた。
アンコール=ワットはその後仏教寺院となる。
ジャヤヴァルマン7世(在位1181~1220頃)の時代に
アンコール=トムが増築されるが、王の死後都市建設と重税によって衰退する。
マレー人、ジャワ人
・マレー半島やスマトラ島、ジャワ島などに住んでいた人々。次のような国を建国した。
シュリーヴィジャヤ王国(7~14世紀) | マレー人がスマトラ島に建国。都はパレンバン。中国名は室利仏逝・三仏斉。義浄が帰国の途上訪れる。14世紀、マジャパヒト王国によって衰退する。 |
サムドラ=パサイ(1267~1521) | スマトラ島北端の王国。13世紀王がイスラーム教に改宗した。 |
古マタラム王国(8~9世紀) | マレー人がジャワ島中部に建国。ヒンドゥー教を信仰した。プランバナン寺院群を建立。16世紀以降イスラームを受容した新マタラム王国となる。 |
シャイレンドラ朝(752?~832?) | マレー人がジャワ島に建国。大乗仏教を信仰し、ボロブドゥール寺院を建立した。 |
クディリ朝(928~1222) | ジャワ島東部の王国。ヒンドゥー教を信仰し、『マハーバーラタ』をジャワ語に翻訳した紙芝居ワヤンが盛んに行われた。 |