ローマ帝国で押さえておきたいポイント
※赤字部分が問題に出そうな部分です。赤色の暗記シートなどで隠して見てください。
帝政ローマの誕生
・紀元前
30年にエジプトを併合し、全地中海の覇権を手にした
オクタヴィアヌスは、ローマに凱旋後の紀元前
27年に
アウグストゥス(尊厳者)という尊称を元老院から受けた。
・オクタヴィアヌスは自らを
プリンケプス(元首)と呼んだ。これは、「
第一の市民」という意味で、名目上共和制の伝統を尊重し、元老院に配慮したものだった。
・オクタヴィアヌスによって紀元前
27年から始まった政治体制を
プリンキパトゥス(元首政)といい、名目上共和制の伝統を尊重したものの、実質的にはオクタヴィアヌスに権力が集中したため、これ以降事実上の帝政が始まり、ローマ帝国が誕生した。
・初期の帝政は平和と安定の時期を迎え、中には暴君
ネロなども現れたが、アウグストゥスから
五賢帝時代までの
200年間を
パックス=ロマーナ(「ローマの平和」)という。
・
五賢帝とは、
ネルヴァから
マルクス=アウレリウス=アントニヌスまでの5人の皇帝のことで、ローマ帝国は最盛期を迎えた。
ネルヴァ | 在位96~98年。最初の五賢帝。 |
トラヤヌス | 在位98~117年。スペインから来た属州出身の皇帝。帝国の最大版図を実現。 |
ハドリアヌス | 在位117~138年。ブリタニアにハドリアヌスの長城を築く。 |
アントニヌス=ピウス | 在位138~161年。貧民救済と財政改革を行う。 |
マルクス=アウレリウス=アントニヌス | 五賢帝最後の皇帝。哲学者でもあり、『自省録』を著す。『後漢書』の大秦王安敦。 |
・帝政ローマ初期の
1~2世紀にかけて、
モンスーンという季節風を利用した
季節風貿易が盛んになった。ローマはアジアと交易し、
絹や
香辛料を輸入する一方で、
ガラスや
ぶどう酒、
金貨を輸出した。この季節風貿易の様子を描いている当時の史料が、『
エリュトゥラー海案内記』である。
ローマ帝国の混乱と軍人皇帝時代
・マルクス=アウレリウス=アントニヌスの死後、五賢帝時代が終わり、ローマ帝国は「
3世紀の危機」を迎える。
・属州反乱が頻発し、
ササン朝や
ゲルマン人などの外敵の侵攻も激しさを増し、ローマ社会は次第に混乱していった。
・こうした混乱の中皇帝となった
カラカラ帝(在位211~217)は、反乱を抑えるために、
212年に
アントニヌス勅令を発布し、全帝国領内の自由民にローマ市民権を与えた。これにより、ローマ人と外国人の区別が無くなり、ローマは世界帝国となっていった。
・ローマはこの時代、ササン朝と東方の領土を巡って争っていた。抗争のさなか、
エデッサの戦いで
シャープール1世に敗れたローマは、皇帝
ヴァレリアヌスが捕虜になるなど、劣勢となった。
・
235年の
マクシミヌス帝の即位以降、
284年の
ディオクレティアヌス帝が即位するまで、約50年間に26人もの皇帝が次々と即位する異常事態となった。これを
軍人皇帝時代という。
・軍人皇帝時代に、ローマ帝国は東方の専制君主制に近づき、軍隊の主力は傭兵に、奴隷制は土地に縛られた
コロヌスという隷属小作人を使用した
コロナートゥスへと変わっていった
ドミナトゥスとローマ帝国の衰退
・最後の軍人皇帝
ディオクレティアヌス(在位284~305)が即位すると、混乱を収拾し、専制君主制である
ドミナトゥスをはじめた。ディオクレティアヌスは、首都を
ニコメディアに遷都し、キリスト教徒に対する最後の
大迫害を行った。
・ドミナトゥスは、皇帝が自ら主(ドミヌス)を称し行った専制君主制で、
ペルシアにならった宮廷儀礼や皇帝崇拝、官僚制の整備などが特徴であった。元老院は完全に無視され、皇帝は絶対的権力者としてふるまった。
・ローマ帝国の広大な領土を支配するため、ディオクレティアヌスは
四部統治(テトラルキア)を始めた。東西に二人の正帝と副帝を置き、ディオクレティアヌスは東方の正帝として統治した。
・テトラルキアはうまく行かず、ディオクレティアヌスの退位後、帝国は再び混乱した。こうした混乱を治め、帝国を再統一したのが
コンスタンティヌス帝(正帝在位310~337)で、
313年に
ミラノ勅令を発布しキリスト教を公認し、
325年には
ニケーア公会議を開き
アリウス派を異端とし、
アタナシウス派が正統なキリスト教の教義となった。
・
330年には、
ビザンティウムに遷都し、自らの名前を冠した
コンスタンティノープルに改称する。その他にも、帝国民の身分や職業の固定化、官僚制度の整備、
ソリドゥス金貨の鋳造などを行い、専制君主制が確立されていった。
東西分裂と帝国の滅亡
・コンスタンティヌス帝による専制政治も長くは続かず、
375年に
ゲルマン民族の大移動が始まったことで、ローマ帝国の衰退が加速する。
・紀元前
379年に
テオドシウスが即位すると、
392年にキリスト教をローマ帝国の
国教と定めた。テオドシウスはローマ帝国の再統一を果たすが、最終的に
395年に広大な帝国を東西2つに分けた。
・
東ローマ帝国は、テオドシウスの長男
アルカディウスに与えられ、ビザンツ帝国として
1453年まで存続した。
・
西ローマ帝国は、テオドシウスの次男
ホノリウスに与えられたが、その後首都がローマから
ミラノや
ラヴェンナに移り、帝国の領土は縮小していった。最終的に
476年、力をつけたゲルマン人傭兵隊長
オドアケルによって滅ぼされた。