朝鮮半島の三国分立
7世紀、朝鮮半島は三つの国が分立し、覇権を争っていました。これを朝鮮半島の
三国時代といいます。
高句麗(紀元前1世紀頃〜668年)
高句麗は中国の東北地方におこった
ツングース系貊族の国家でした。
4世紀になると、朝鮮半島に進出し、北部を領有。都を
平壌に遷都しました。
新羅(4世紀半ば〜935年)
元々あった辰韓が統一され、建国されたのが新羅です。
慶州を首都に定めました。
百済(4世紀半ば〜660年)
元々あった馬韓が統一されて建国されました。都は
漢城です。
唐・日本の介入と朝鮮半島統一
この三国時代のさなか、唐と日本が朝鮮半島の情勢に介入していました。
年表でみると、次のようになります。
7世紀前半 | 高句麗が隋と唐による遠征を撃退 |
660年 | 新羅・唐が百済を滅亡させる |
663年 | 新羅・唐が白村江の戦いで日本を撃退 |
668年 | 新羅・唐が高句麗を滅亡させる |
676年 | 新羅が唐を追放後、朝鮮半島を統一 |
まず、
高句麗が3度の隋の遠征を撃退します。その後の唐による遠征も、高句麗は破りました。
こうした状況の中、
新羅は
唐と同盟を組み、660年、まず
百済を滅ぼします。
ここで、百済を支援していた
日本が援軍を送り再興を目指しましたが、663年、
白村江の戦いで唐・新羅連合軍に大敗し、それ以降日本の勢力は朝鮮半島から撤退しました。
その後、唐と新羅は668年に残る
高句麗を滅ぼし、新羅は唐との同盟を破棄し、676年に朝鮮半島を統一します。
朝鮮半島を統一した後の新羅は、その後唐の
冊封を受け入れ、律令制・仏教・その他唐の文化を積極的に取り入れました。