大乗仏教と小乗仏教
ブッダの死後、仏教の教えは何種類もの流派に分かれて行きました。その中で残ったのが、
大乗仏教と
小乗仏教という考えです。
ブッダが悟りを開くまでには、世の中の悲しみを感じ、それを解決するためにはどのようにしたらよいのか、人々を悲しみや苦しみから救うためにはどうしたらよいのかという
人の立場にたった考え方と、厳しい修行を通して欲を絶ち、自分を聖人に近づけていくかという
個人の立場にたった考え方がありました。前者の考えは、仏教の上層部(
上部座)による保守派の考え方、後者は大衆的(
大衆部)な考え方です。
人の立場にたって、生きている者、信じる者すべてを救おうではないかという考え方を
大乗仏教と言い、一方でブッダの定めた厳しい戒律を守ることで悟りを開こうとする考えを
小乗仏教と言います。
日本に入ってきたのは大乗仏教の考えで、信じるものは救われる、自らを犠牲にしてでも人々を救おうという考え方はまさに大乗仏教ですね。(この自己犠牲の精神は
サクリファイスと言って、キリスト教でも説かれています。)
ちなみに上部座の考えは東南アジアを中心に広がっていきました。