はじめに
当時犬猿の仲にあった
薩摩藩と
長州藩の間を、
坂本龍馬がとりもって同盟を結ばせたという話はあまりにも有名ですが、なぜ薩摩と長州は手をとりあったのでしょうか。
薩摩藩の背景
お互いの利害が一致したからというのが一番の理由です。
当時薩摩藩は、琉球藩との密貿易やイギリスとのつながり(薩英戦争後に仲良くなった)によって財政が潤っており、
力が弱まっていた幕府からするとその影響力は脅威そのものでした。そこで幕府は、長州討伐という名目で薩摩藩に長州藩を攻めるよう仕向けたのです。
薩摩藩からすると、ここで長州藩と戦争を行えば、たくさんの犠牲やお金がかかって国力が衰えるのは目に見えています。さらに当時の幕府には、
雄藩否定論といって、力のある藩を目の敵にする風潮があったので、長州討伐の後に薩摩藩が標的とされるかもしれない、といった心配もありました。
長州藩と戦争はしたくないけれども、幕府の命令に背いて長州藩との戦争を避ければ、幕府の裏切り者になってしまいます。薩摩藩の中には「
日本を外国の脅威から守るためには、幕府を倒して新しい仕組みをつくるしかない」と倒幕を進める動きもありましたが、いくら国力があったとはいえ、薩摩藩だけで倒幕を進めるような感じでもない。薩摩藩はそのような状況下にありました。
長州藩の背景
一方で長州藩は、藩の存続に関わる状況にありました。
もともと長州藩は、攘夷を掲げ倒幕運動を展開していました。この倒幕派の先方であった長州藩を倒すことで世間に力をしめそうと考えた徳川幕府は、各藩に長州討伐を命じ、長州藩を追い込んでいきます。(そのリーダーが薩摩藩)
また長州藩は、朝敵(天皇の敵)とされたために武器の購入を禁止されていました。そのために戦う武器すら手にいれることができませんでした。(当時武器を買うためには幕府の許しを得る必要がありました。)
つまり、各藩から攻められることになれば絶体絶命な状況にあったわけです。
両藩の思惑
薩摩藩は戦争をしたくないし、できるなら倒幕をしたい。ただし倒幕運動の表には立ちたくない。長州藩は武器が欲しくて、しかも倒幕をしたい。この両者の思惑が一致したわけです。この盟約によって、
薩摩藩は幕府には内緒で長州藩の代わりに武器を購入し、これを長州藩に提供します。つまり薩摩藩は、長州藩が幕府と戦争をする手伝いを行ったわけです。
これによって薩摩藩は長州藩との戦争が回避でき、また幕府に裏切り者とされても、長州藩の影に隠れることができます。そして長州藩は買いたくても買えなかった武器を購入し倒幕運動に専念できます。
事実、長州藩は攻めてきた幕府軍との戦いに勝利しました。この薩長同盟と幕府の敗戦によって、世論は幕府を解体して開国へと傾いていくことになります。