論語 切磋琢磨『子貢曰、貧而無諂(貧しくして諂うことなく)』解説・書き下し文・口語訳
中国の思想家
孔子が述べたものを弟子たちがまとめたもの、それが
論語です。
朱子学において「四書」と称される経典の一つが、儒教の教えを端的に表した経書です。その明快な内容により、初めて儒教に触れる人々の入門書として幅広く普及し、中国史上最も読まれた書籍の一つとなっています。
論語には、人の生き方や思考、道徳などに関する教えが詳細に記されており、現代のビジネスパーソンたちにも参考にされることが多いです。論語では、「仁・義・礼・智・信」という五つの美徳、または五つの常道が紹介されています。これらの美徳は、人々が生活する上で重要なものであり、目指すべきものであり、守るべきものとされています。
ここでは、論語の第1章「
学而第一」の第15、「貧しくして諂うことなく」の解説をしています。この部分は。
切磋琢磨という言葉のもとになった箇所です。
孔子が弟子の子貢と問答をしているシーンです。
白文
子貢曰、貧而無諂、富而無驕、何如。
子曰、可也。未若貧而樂、富而好禮者也。
子貢曰、詩云、如切如磋、如琢如磨、其斯之謂與。
子曰、賜也、始可與言詩已矣、告諸往而知來者也。
書き下し文
子貢曰く、
『貧しくして諂う(へつらう)ことなく、富みて驕(おご)ることなきは何如。』
子曰く、
『可なり。未だ貧しくして道を楽しみ、富みて礼を好むものに若(し)かざるなり。』
子貢曰く、
『詩に云う。「切するが如く、磋するが如く、琢するが如く、磨するが如し」と。それ斯れを謂うか。』
子曰く、
『賜や、始めて与に(ともに)詩を言うべきなり。諸(これ)に往(おう)を告げて来を知るものなり。』
現代語訳
子貢は孔子に質問をしました。
「貧しくてもへつらうことがなく、豊になってもおごることがないのはいかがでしょうか?」
孔子は答えます。
「良いと思う。しかし、貧しくても学問を好み、豊でも礼を全うする人には及ばないと思うよ。』
子貢はさらに質問します。
「詩経に、『切するが如く、磋するが如く、琢するが如く、磨するが如し』と書いているのは、まさにこのことを言っているのでしょうか?」
孔子は答えます。
「子貢よ、それでこそ詩について一緒に語り合えるというものだよ。お前は一を聞いて十を理解する男だなぁ。(だから語り合える)」
■而
置き字の1つ。読まずに、「~て」や「~だけれども」のように接続を表します。
やっかいなのは、順接と逆接、どちらの場合でも使われるという点です。見分け方は、文脈から判断するしかありません。
■未
再読文字の1つ。「
未(いま)だ~ず」と読みます。 「未」を「いまだ」と「ず」と違った読み方で2回読んでいますね。 意味は現代語と同じで、「
まだ~していない」と訳します。ここでは「未若」で「いまだ~しかず」となっていますね。
■切磋琢磨
この詩から
切磋琢磨という言葉が生まれました。本来は装飾品を作るときの
切・・・材料を切り出す
磋・・・切り出した材料を磨き上げる
琢・・・石を加工する
磨・・・加工した石を磨き上げる
ことを指し、何事においても、自分をよりいっそう磨き上げることを指す言葉となりました。
■賜
子貢のこと。