執権
鎌倉幕府を語る上で欠かせないのが
北条氏の存在です。源頼朝の奥さん
北条政子は北条氏の出ですが、2人の息子である源頼家は、北条時政によって権力を奪われ、幕府をのっとられてしまいます。力をもった北条氏は、
執権として幕府の運営を担いました。ここでは、どの北条氏のときにどんな事件が起こったのかについてみていきましょう。
初代:北条時政
まずは、源頼朝の奥さん
北条政子の父であった
北条時政です。源頼朝の死後に、実の孫であった2代将軍
源頼家を殺害し、初代
執権となりました。
2代:北条義時
時政の引退後、執権をついだのが
北条義時です。義時が執権のころに起こった事件は、
承久の乱です。(
承久の乱)
3代:北条泰時
北条泰時は、幕府に新しく
連署、
評定衆を設立し、
1232年には
御成敗式目を制定しました。鎌倉幕府というと
御成敗式目!というイメージがありますが、源頼朝の時代ではなくて、北条氏が制定した決まりなんですね。(
鎌倉幕府の役職一覧)
8代:北条時宗
少しとんで、今度は
北条時宗です。彼が執権の時期に、鎌倉時代において最大の事件が発生しました。
元寇です。
文永の役と
弘安の役の2度にわたって元を追い払うことに成功しますが、恩賞が少ないなどの理由から、幕府に対する不満が出始めた時期でもありました。(
元寇が鎌倉幕府に与えた影響)
9代:北条貞時
元寇のとばっちりを受けたのが
北条貞時でした。経済の混乱によって困窮する御家人や幕府への不満因子が増えていたために、徳政令を出して借金をチャラにします。これが
永仁の徳政令と呼ばれる、
日本で初めての徳政令です。
また貞時のときに、
霜月騒動も起こっています。
14代:北条高時
幕府の執権は16代まで続きますが、
北条高時が北条氏としては最後の執権になります。彼が執権のときに
後醍醐天皇が謀反の計画をたてたとして罰せられるという事件が起こりました。(
正中の変)