平家物語 扇の的
扇の的は、平家物語の一場面であり、屋島の戦いを描いたエピソードとなっています。平家物語は、鎌倉時代に成立したとされる軍記物語で、平家の栄華と没落を描いています。
この場面では、源氏と平家が海岸で対峙しています。平家は船に乗り、海上に逃れると同時に、船の先端に扇を立てて源氏に挑発します。一方、源氏の側では、弓の名手である那須与一が扇を射る役割を担うことになります。
那須与一は神々に祈りを捧げながら弓を引きます。風が収まり、扇が静止すると、与一は見事に扇を射抜きます。扇は空高く舞い上がり、最終的には海に散っていきます。沖では平家の兵士たちが感嘆し、陸では源氏の勢力が歓声を上げます。
その後、平家の方から舞いを舞う者が現れますが、与一は再び弓を引き、その者を見事に射落とします。この瞬間、「ああ、素晴らしい射撃だ」と称賛する者もいれば、「情けない」と嘆く者もいます。
このエピソードは、那須与一の卓越した弓術と勇気を称えると同時に、戦争の惨状と無常さも示しています。
平家物語によると、
「磯へ七、八段ばかりになりしかば、舟を横さまになす」
ということで、那須与一から扇の的までの距離は75m~85mあたりといったところでしょうか。
矢を射るまでの心境
2月18日の夕方6時ごろ(酉の刻)のことでした。ちょうど北風が激しく吹いて、海岸を打つ波も高くなっていました。(与一からすれば北風は向かい風になります。)
扇が立てられている船は、強い波であがったりさがったりしているので、的である扇も、それと一緒に動いており、なかなか狙いが定まりません。沖には平氏たちが一面に船を並べて見物しています。陸では源氏が馬をならべて見守っています。どちらとも晴れがましい光景です。
与一は目を閉じて念じています。
「南無八幡大菩薩、私の故郷の神である日光の権現様、宇都宮大神、那須の湯泉大明神よ、お願いします。あの扇の真ん中を射させてください。もし失敗したら、私は弓を折って、自ら命を絶って、再び人の前に現れることはありません。もし、私をいま一度故郷へ向い入れてくださるのなら、この矢をはずさせないでください。」と。
閉じていた目を見開いてみると、風も少しはやわらいで、扇も狙いやすくなっていました。
矢を放ちます
与一は矢をとって引き放ちました。与一は体格が小柄でしたが、矢は十二束三伏(こぶし12握りの幅に指3本の幅を加えた長さ)の長さで、弓は強いものを使っていました。
矢は海一帯に響くほどの音をたてて、扇の要から一寸(約3cm)のところを間違うことなく射ました。矢は海に落ち、扇は空へと舞い上がり、風に一もみ二もみされてから海に散り、夕日の輝く白い波の上に漂っています。平氏は船端をたたいて感嘆し、源氏はえびらをたたいてどよめいていました。あまりの面白さに我慢できなかったのでしょう。平氏の船から50歳ぐらいの武将が出てきて、扇の立ててあったところで舞を踊り始めました。
そのとき、伊勢三郎義盛が与一のところに歩み寄って、「義経様の命令だ。あいつを狙え。」と命じたので、与一は、今度は中差をとって十分に弓を引いてから男を狙って矢を射ました。矢は男の頚骨を射抜き、男は船底へと倒れました。
これをみた平氏方はしーんと静まり返って音もしません。一方で源氏勢は再びえびらをたたいて歓声をあげました。
「よく射抜いた!」とほめたたえる者がいれば、「"情け"のないことを」という者もいたということです。