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22_80 現代に生きる人間の倫理 / 科学的な見方・考え方(ガリレオ/ベーコン/デカルトなど)

近代科学の誕生~ガリレオがなぜ弾圧されたのか~

著者名: zed
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はじめに

現代で私たちが勉強している科学ですが、この基礎ができたのが16世紀~17世紀のヨーロッパでした。人々は、それまで神を中心として正しいとされてきたことに対して、科学的な視点から客観的に何が正しくて何が正しくないのかを考えるようになったのです。
ガリレオ

地球を中心に宇宙の惑星が回っている(天動説)のではなく、地球は太陽を中心に回る惑星の1つにすぎないという地動説を唱えたのは有名な話です。しかしキリスト教の見解と違うということで支持されることはなく、ガリレオは宗教裁判にまでかけられてしまったことをみなさんご存知でしょうか?
この時期の話にはだいたい宗教が絡んできますので、みなさん覚えておきましょう。


当時権力のあったキリスト教会ですが、彼らにとって絶対な存在が「神」です。『創世記』の冒頭で以下のような一節があります。

初めに、神が天と地を創造した。地は形がなく、何もなかった。やみが大いなる水の上にあり、神の霊は水の上を動いていた。そのとき、神が「光よ。あれ。」と仰せられた。すると光ができた。神はその光をよしと見られた。そして神はこの光とやみとを区別された。神は、この光を昼と名づけ、このやみを夜と名づけられた。こうして夕があり、朝があった。第一日。

 ついで神は「大空よ。水の間にあれ。水と水との間に区別があるように。」と仰せられた。こうして神は、大空を造り、大空の下にある水と、大空の上にある水とを区別された。するとそのようになった。神は、その大空を天と名づけられた。こうして夕があり、朝があった。第二日。

 神は「天の下の水は一所に集まれ。かわいた所が現われよ。」と仰せられた。するとそのようになった。神は、かわいた所を地と名づけ、水の集まった所を海と名づけられた。神は見て、それをよしとされた。神が、「地は植物、種を生じる草、種類にしたがって、その中に種のある実を結ぶ果樹を地の上に芽生えさせよ。」と仰せられると、そのようになった。 それで、地は植物、おのおのその種類にしたがって種を生じる草、おのおのその種類にしたがって、その中に種のある実を結ぶ木を生じた。神は見て、それをよしとされた。 こうして夕があり、朝があった。第三日。

 ついで神は、「光る物は天の大空にあって、昼と夜とを区別せよ。しるしのため、季節のため、日のため、年のために、役立て。 天の大空で光る物となり、地上を照らせ。」と仰せられた。するとそのようになった。 それで神は二つの大きな光る物を造られた。大きいほうの光る物には昼をつかさどらせ、小さいほうの光る物には夜をつかさどらせた。また星を造られた。 神はそれらを天の大空に置き、地上を照らさせ、また昼と夜とをつかさどり、光とやみとを区別するようにされた。神は見て、それをよしとされた。 こうして夕があり、朝があった。第四日。

※このアンダーラインのところに注目してください。


神が太陽と月を作ったとなっていますよね。
つまりキリスト教の立場からすると、地球が中心に世界が回っていなければつじつまが合わずにその尊厳に傷がつく可能性があったのです。

裁判にかけられたガリレオは、自らの主張と取り下げ判決を待つ間に獄中で亡くなったと言われています。無念のあまりに「それでも地球は回っている」と呟いたという話は有名ですね。

このように、宗教の世界観と自然界の摂理は少し違うぞと人々が気づき始めたのが近代科学の誕生の第一歩でした。
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『もういちど読む 山川倫理』小寺聡 山川出版社
『倫理 用語集』 山川出版社
『倫理ノート 新課程用』小寺聡 山川出版社
『創世記』 旧約聖書

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