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18_80 世界市場の形成とアジア諸国 / ムガル帝国

ラージプート絵画とは わかりやすい世界史用語2376

著者名: ピアソラ
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ラージプート絵画とは

ラージプート絵画は、16世紀から19世紀にかけて、インドのラージプート族の王宮で栄えた細密画の一様式です。 その起源は、インド西部の写本挿絵にまで遡ることができますが、後年にはムガル絵画の影響も顕著に見られます。 ムガル絵画が同時代的、現実的な様式であったのに対し、ラージプート絵画は伝統的でロマン主義的な性格を特徴としています。 この絵画様式は、ラージャスターン及び中央インドの流派であるラージャスターン絵画と、ヒマラヤ山麓の王国で描かれたパハリ絵画の二つに大別されます。



ラージプート絵画の歴史的背景

ラージプート絵画は、16世紀から19世紀にかけて、現在のラージャスターン州とマディヤ・プラデーシュ州の一部にまたがる、メーワール、ブンディ、コータ、ジャイプル、ビーカーネール、キシャンガル、ジョードプル(マールワール)、マールワー、シロヒといった藩王国で繁栄しました。 ラージプート族は、サンスクリット語の「ラージャ・プトラ(王の子)」に由来し、主に中央インドと北インドに居住する、父系氏族で組織された約1200万人の地主階級です。 彼らは自らをクシャトリヤ(戦士・支配階級)の子孫と見なしていますが、その地位はグヒロート家やカチュワーハー家のような王族から、単なる農耕民まで多岐にわたります。
ラージプート絵画の発展には、パトロンの後援が重要な役割を果たしました。 18世紀にムガル帝国が衰退すると、ラージプートの宮廷は文化と芸術活動の中心地となり、様々な地域から才能ある芸術家が集まりました。 この芸術様式は、ペルシャ、ムガル、そしてインド土着の様式など、多様な芸術的伝統の影響を受けています。 ラージプートの各王国は、それぞれ独自の様式を発展させましたが、同時に互いに影響を与え合い、豊かな芸術的交流が生まれました。
ムガル帝国との関係は、ラージプート絵画に複雑な影響を及ぼしました。ラージプートの君主たちはムガル宮廷で高い地位を与えられ、その豪華な生活や文化に触れる機会を得ました。 しかし、彼らは民族的な誇りと故郷への愛着を強く持ち続けたため、ムガル絵画の影響は刺激として作用したものの、限定的でした。 ラージャスターン絵画は、インドの古典絵画の伝統を受け継ぐものであり、そのルーツは土着の伝統に深く根差しています。 アウラングゼーブ帝の治世下で宮廷の庇護を失った多くの画家たちが、ラージプターナーの様々な国に避難したことで、ラージャスターン絵画の様式はムガル様式の影響を受けることになりました。
ラージプート絵画の主題と象徴性

ラージプート絵画の主題は多岐にわたり、ラージプートの生活における文化的、宗教的、社会的な側面を反映しています。 主な主題としては、ヒンドゥー教の叙事詩である『ラーマーヤナ』や『マハーバーラタ』に由来する宗教的・神話的なテーマが挙げられます。 特に、ヴィシュヌ神の化身であるクリシュナ神の生涯を描いた作品は、18世紀から19世紀初頭にかけて人気を博しました。 クリシュナは、悪の力から人々を解放するために地上に遣わされた神であり、ヴァイシュナヴィズム(ヴィシュヌ派)の隆盛とともに、ラージプート絵画の中心的な主題となりました。 クリシュナとその恋人ラーダーの愛の物語は、神との合一を象徴するものとして、数多くの作品で描かれています。
その他にも、宮廷生活、狩猟の場面、戦闘、そしてラーガマーラー(音楽の旋法を描いた絵画)やバーラマーサー(十二季図)といったテーマも好まれました。 ラーガマーラー絵画は、インド古典音楽の旋法である「ラーガ」を絵画化したもので、芸術、詩、古典音楽が融合した中世インドの典型的な例です。 各ラーガは、色、気分、英雄とヒロインの物語、季節、そして一日の特定の時間帯によって擬人化されます。
ラージプート絵画における象徴性もまた重要です。色彩、模様、モチーフには深い意味が込められています。 例えば、赤や黄色といった鮮やかな色は力と富を、緑は豊穣と繁栄を表します。 絵画に描かれる動植物や建築物も、ラージプート族と彼らの環境との繋がりや、王宮の壮大さを示唆しています。
ラージプート絵画の技法と材料

ラージプート絵画は、主にミニアチュール(細密画)の形式で制作されました。 支持体には、宮殿の壁や城塞の内部の部屋のほか、手作りの紙が用いられました。 彩色には、鉱物、植物、巻貝の殻、貴石、金、銀などから作られた顔料が使用されました。 制作過程は、まず明るい赤色で下絵を描き、紙にデンプンのペーストを塗り、その後黒い線で輪郭を描き、順次彩色を重ねていくという手順で進められました。 装飾的な植物、楕円形の顔、際立った鼻、魚のような目、そして白い馬や象の使用も特徴的です。
ラージャスターン絵画の主要な流派

ラージャスターン絵画は、ラージャスターン地方の様々な藩王国で発展した絵画様式の総称であり、地域ごとに特色ある流派が生まれました。
メーワール派

メーワール派は、17世紀にラージャスターン州のメーワール地方で生まれた細密画の伝統です。 シソーディヤ朝の庇護の下で発展し、宗教的・神話的な物語、肖像画、歴史的な出来事などを主題とする独自の様式で知られています。 ムガル絵画が写実主義、緻密な細部、ペルシャの影響を特徴とするのに対し、メーワール派は鮮やかな色彩、人物の厳格な横顔、地域の歴史や文化を反映した主題を強調することで、ラージプート独自の性格を維持しました。
メーワール派の初期の作品は、1605年頃にナーシルッディーンによってチャワンドで描かれたラーガマーラーの連作にその起源を見ることができます。 この時期の作品は、大胆な色彩と力強い線描を特徴としています。 17世紀に入ると、サーヒブディーンやマノーハルといった画家たちが活躍し、『ラーガマーラー』、『ラーマーヤナ』、『バーガヴァタ・プラーナ』などの写本挿絵を制作しました。 サーヒブディーンの死後、メーワール絵画の様式は変化し、宮廷生活を描いた作品が主流となりました。 18世紀には、宮廷の華やかな場面、狩猟、祭り、女性の居室での活動、スポーツなどが描かれるようになりました。
メーワール派の絵画は、自信に満ちた線と、黄土色やオリーブ色といった土着的な色調を基調としながらも、特に赤色の鮮やかな色彩が際立っています。 花模様や象徴的な表現も取り入れられ、装飾的でありながら深い表現力を持つ様式を確立しました。
マールワール派

マールワール派は、ジョードプル、ビーカーネール、キシャンガル、ナーガウル、パーリ、ガネーラーオといったマールワール地方の宮廷で発展したラージャスターン絵画の一様式です。 17世紀から19世紀にかけて隆盛を極め、ムガル美術の影響を強く受けています。
ジョードプル様式は、マールワール派の中でも特に民俗的な要素が強く、ムガルの伝統からの影響は比較的少ないです。 鹿、ラクダ、カラス、馬などが描かれ、馬に乗った貴族や宮廷の場面が一般的な主題でした。 1623年にパーリで描かれたラーガマーラーは、その代表例です。
ビーカーネール様式は、他のどのラージャスターン絵画よりもムガルの特徴を色濃く反映しています。 これは、多くのムガル画家がビーカーネールで活動したためです。 主題は、肖像画、バーラマーサー、ラーガマーラー、『バーガヴァタ・プラーナ』、クリシュナ・リーラーなど多岐にわたります。
キシャンガル様式は、ムガル様式と土着の様式が融合したもので、特にクリシュナとラーダーの愛情表現を主題とすることで知られています。 この様式を代表するのが、理想化された女性美を描いた「バニー・タニー」です。 詩人でもあったバニー・タニーに関連付けられるこの作品は、その優雅な顔立ちと装飾的な衣装の緻密な描写が特徴です。
ハドーティー派

ハドーティー派は、ブンディ、コータ、ジャラーワルといったハドーティー地方で発展した絵画様式です。 この地域の絵画は、ラージプート様式の中でも最高傑作の一つと見なされることが多くあります。
ブンディ様式は、17世紀頃から発展し始め、その魅力的な色彩計画と模様で知られています。 1591年に描かれたブンディのラーガマーラー連作は、音楽の旋律をテーマにした初期の有名な作品群です。 緑豊かな風景、様々な種類の樹木や花咲く蔓植物、前景に描かれた蓮の咲く池、魚や鳥などが特徴です。 女性は、小さく丸い顔、後退した額、大きな鼻、ふくよかな頬で描かれます。
コータ様式は、当初はブンディ絵画の伝統から生まれましたが、やがて独自の様式を確立しました。 特に、王子や貴族たちが従者を連れてライオンやトラを狩る様子を描いた、ダイナミックで劇的な狩猟シーンは世界的に有名です。 コータ絵画の際立った特徴は、描かれる対象の「顕著な二重の陰影と二重のまぶた」です。
ドゥーンダール派

ドゥーンダール派は、アンベール、ジャイプル、シェーカーワティー、ウニアーラーといったドゥーンダール地方で発展した絵画様式です。
アンベール様式は、ムガルの影響が強く見られますが、男女の身体のフォルムにはラージャスターンの民俗芸術の影響が色濃く残っています。
ジャイプル様式は、18世紀にジャイプルが建設されてから発展しました。 ムガル宮廷から最高の芸術家たちがジャイプルに招かれ、絵画が制作・保管される工房「スーラトカーナー」が再編されました。 等身大の肖像画、神話の描写、ラーガ、占星術の概念、そして多くのユーモラスで官能的なテーマが特徴です。
マールワー派

マールワー派は、ラージャスターン絵画の中でも最も古い流派の一つで、1600年から1700年にかけて最盛期を迎えました。 この地域はヒンドゥー教徒のラージプート宮廷を強く代表していました。 マールワー派の正確な発祥地は特定されていませんが、マンドゥ、ヌスラトガル、ナルシヤン・サハルなどが有名な中心地です。 主な主題は、『ラーマーヤナ』、『バーガヴァタ・プラーナ』、『アマル・シャタカ』、『ラシカプリヤー』、『ラーガマーラー』、『バーラマーサー』などです。
パハリ絵画の主要な流派

パハリ絵画は、ヒマラヤ山麓のジャンムーからガルワールに広がる地域で、17世紀から19世紀にかけて発展したインド絵画の一形式です。 「パハリ」とはヒンディー語で「山岳地帯の」を意味します。 パハリ絵画は、ラージプート絵画のもう一つの大きな流れを形成し、ラージャスターン絵画とは異なる独自の様式を発展させました。
バソーリー派

バソーリー派は、17世紀半ばにパハリ派の先駆けとして登場した流派です。 力強い色彩の活力と線描の太さを特徴とし、その様式はすでに完成された形で現れました。 主なインスピレーションの源はヴァイシュナヴィズムであり、主題は叙事詩やプラーナ文献から採られています。 ラーダーとクリシュナの愛の物語を描いた『ギータ・ゴーヴィンダ』や『ラーマーヤナ』の挿絵が有名です。
バソーリー絵画は、鮮やかで対照的な色彩、単色の背景、大きな目、太い描線、装飾品に甲虫の翅を使用してダイヤモンドを表現する技法、狭い空、そして赤い縁取りが特徴です。 顔のタイプはやや重厚感があり、樹木の表現はムガル絵画の影響を受けて自然主義的な性格を帯びています。
グレル派

グレル派は、18世紀前半に現在のヒマーチャル・プラデーシュ州にある小さな丘陵国家グレルで生まれました。 ムガル様式の訓練を受けたカシミールの画家たちが、グレルの君主ダリープ・シング王の宮廷に保護を求めたことに始まります。 グレル絵画は、繊細で叙情的な様式を特徴とし、特に女性の魅力を優雅に表現することで知られています。
グレル派の絵画は、涼しげな青や緑を強調した色彩が巧みに使われ、描線は繊細で正確です。 風景は繊細に描かれ、ロマン主義的で感情豊かな表現が豊富です。 クリシュナとラーダーのロマンスは、グレル絵画の決定的な特徴であり、天上の愛の象徴と見なされています。 この流派は、後のカーングラー派に大きな影響を与え、パハリ絵画の様式を形成する上で重要な役割を果たしました。
カーングラー派

カーングラー派は、18世紀後半にバソーリー派の衰退とともに台頭し、パハリ絵画の代名詞となるほど多くの作品を生み出しました。 この流派は、サンサール・チャンド王(在位1775-1823)の庇護の下で最盛期を迎え、ティラ・スジャーンプルがその中心地となりました。
カーングラー絵画は、パハリ絵画の中でも最も詩的で叙情的な様式とされ、その優雅さと繊細な表現で際立っています。 緑の濃淡を多用して緑豊かな植生を描写し、繊細な線、微細な細部、そして明るい色彩が特徴です。 女性の顔の描写は特に特徴的で、額と一直線になる通った鼻筋は、1790年代頃に流行しました。 主な主題は、『バーガヴァタ・プラーナ』、『ギータ・ゴーヴィンダ』、『ナラ・ダマヤンティー物語』などです。
ラージプート絵画の遺産

ラージプート絵画は、インドの神話を後世に伝える上で大きな貢献をしました。 読み書きのできない人々が多かった時代に、『ラーマーヤナ』や『マハーバーラタ』の物語を絵画で表現することで、神聖な物語と価値観を伝える助けとなりました。 また、メーワール派が宗教的な主題に焦点を当てたのに対し、ブンディ派がモンスーンや森の風景を描くなど、各王国が独自の様式を発展させたことは、インド文化の多様性を示しています。
ラージプート絵画は、単なる芸術作品に留まらず、ラージプートの宮廷文化、宗教観、社会の価値観を視覚的に表現したものでした。 宗教画は信仰の対象として、また統治者の肖像画は権力と神聖性の象徴として機能しました。 19世紀になると、ラージプート諸国の政治的衰退と西洋絵画や写真の影響により、ラージプート絵画は徐々にその姿を消していきました。
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『世界史B 用語集』 山川出版社

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