ムガル帝国とは
ムガル帝国(1526〜1858)は、インド史上最大のイスラム国家です。
この王朝は初代の
バーブルが
パーニーパッドの戦いで
ロディー朝を破り、
デリーを首都として建国し、19世紀半ばまで続きました。
建国者バーブルは、ティムールとチンギス=ハンの血統を継いでいたといわれています。
第3代皇帝アクバル
ムガル帝国の発展に力を注いだのが、第3代皇帝の
アクバルでした。
アクバルは以下の方法で、ムガル帝国の基礎を整備しました。
アグラへの遷都
1558年、建国の地デリーから、ジャムナー川西南の
アグラに遷都します。この地には、第5代
シャー=ジャハーンの時代に霊廟
タージ=マハルが建立されます。
敵対勢力の平定
アクバルは、外征を繰り返し、敵対していた
ラージプート勢力を次々と平定していきました。その後、こうした平定した民族に対して、宥和政策を行いました。
ヒンドゥー教徒との融和とジズヤ廃止
上記のように、ムガル帝国はイスラム教国家でした。そのため、インド古来から続くヒンドゥー教への寛容策が重要だったのです。アクバルはイスラム教徒とヒンドゥー教徒との差をなくすため、ムスリム政権が非ムスリムに課していた
ジズヤという人頭税を廃止しました。
官僚制の整備とマンサブダール制
多数のヒンドゥー教徒に配慮し、ムガル帝国では
官僚制の整備の際に、ムスリム以外からも多くの軍人や官僚を採用しました。その際定められたのが
マンサブダール制です。これは、すべての軍人や官僚に
マンサブ(位階)を与え、この位階に応じた非世襲の土地を与える代わりに、騎兵などの準備を義務づけるものでした。この土地は非世襲であったため地方の有力者が力を蓄えづらいという意味もありました。
土地調査と税制
ムガル帝国では、ヒンドゥー教徒の財政責任者を登用し全土の土地調査を行い、その調査に基づいた地代が財政の基盤になりました。
アクバルはこうしたさまざまな政策を通じてムガル帝国の基礎を築き、その後巨大な帝国へと発展していきます。