景教とは
景教は、ネストリウス派のキリスト教が中国に伝播したもので、唐代に正式に伝わりました。ネストリウス派は、5世紀にコンスタンティノープルの総主教ネストリウスによって提唱され、キリストの神性と人性を強調し、それらが独立して存在するとする教義です。この教義は、431年のエフェソス公会議で異端とされましたが、その後も広く支持され続けました。
景教の伝来と発展
景教は、唐代初期に中国に伝来しました。635年、唐の太宗の治世に、ペルシア人宣教師阿羅本が長安に到着し、景教を伝えました。彼は唐の皇帝から歓迎を受け、景教の教義を広める許可を得ました。このことにより、景教は中国で受け入れられ、多くの教会や修道院が建設されました。
景教の教義と儀式
景教の教義はネストリウス派に基づき、キリストの神性と人性が強調されました。さらに、景教は聖書に基づく道徳的な教義を重視し、信者には高い倫理観を持つ生活を求めました。景教の儀式には、洗礼、聖餐、祈りが含まれており、これらは教会で執り行われました。
景教の影響と衰退
景教は唐代の初期から中期にかけて広く受け入れられ、信者を増やしました。しかし、9世紀に入ると唐の武宗による仏教弾圧(会昌の廃仏)によって、景教もその影響を受けました。この弾圧により、多くの景教の教会や修道院が破壊され、信者も迫害を受けました。結果的に、景教は衰退し、最終的には中国から姿を消しました。
景教の遺産
景教の影響は現在でも中国の歴史や文化において重要な役割を果たしています。特に、長安にある「大秦景教流行中国碑」は、景教の伝来とその発展を記録する貴重な歴史的資料となっています。この碑文には景教の教義や儀式、さらには中国での活動が詳細に記されています。また、景教の影響は後のキリスト教の伝来にも見ることができます。
景教は、ネストリウス派のキリスト教が唐代に中国に伝来したもので、初期から中期にかけて広く受け入れられました。しかし、9世紀の仏教弾圧によって衰退し、最終的に姿を消しました。それでも、景教の遺産は現在も中国の歴史と文化に深い影響を与えており、後のキリスト教の伝来にも影響を与えました。