ネストリウス派とは
ネストリウス派は、4世紀末から5世紀初頭にかけて、コンスタンティノープルの総主教ネストリウスによって提唱されたキリスト教の教義です。ネストリウス派は、キリストの神性と人性を強調し、これらを別個の本質として独立して存在するものと見なしました。この教義は、キリスト教の基本的な教義に対して深刻な挑戦と捉えられ、最終的には異端とされました。
ネストリウス派の教義
ネストリウス派の教義の核心は、キリストが「神性と人性という二つの独立した本質」を持っているという考え方です。ネストリウスは、キリストが完全な神であり、同時に完全な人間であるとしながらも、これらの本質が一つに融合するのではなく、それぞれ独立していると考えました。そのため、ネストリウス派はマリアを「神の母」ではなく、「キリストの母」と呼ぶべきだと主張しました。
エフェソス公会議とネストリウス派
431年に開催されたエフェソス公会議は、ネストリウス派の教義について教会の公式な見解を示すために召集されました。この公会議では、ネストリウス派の教義が異端とされ、ネストリウスは総主教の地位から追放されることとなりました。また、マリアを「神の母」とする教義が正式に確認されました。
ネストリウス派の影響とその後
エフェソス公会議で異端とされたにもかかわらず、ネストリウス派の教義はその後も広く受け入れられ、特に東ローマ帝国やペルシア帝国などで信奉されました。ネストリウス派は、キリスト教の教義に対する一つの異なる解釈を提供し、教会内で新たな論争を引き起こしました。
ネストリウス派の衰退
ネストリウス派は、451年のカルケドン公会議で再び異端とされ、その後徐々に影響力を失いました。この公会議では、ニカイア信条が再確認され、ネストリウス派の教義が正式に否定されました。ネストリウス派はその後も一部の地域で生き残りましたが、次第に衰退していきました。
ネストリウス派は、4世紀末から5世紀初頭にかけて、コンスタンティノープルの総主教ネストリウスによって提唱された教義であり、キリストの神性と人性を別々の本質として強調するものでした。この教義は、エフェソス公会議とカルケドン公会議で異端とされましたが、その後も一部の地域では支持され続けました。