単性論とは
単性論は、キリスト教におけるキリスト論の一つで、キリストが一つの本質(神性)を持つとする教義です。この考え方は、5世紀にネストリウス派が異端とされたエフェソス公会議(431年)の後、対抗的に発展しました。単性論を支持する者は、キリストの神性が人間性を吸収し、唯一の神的本質を形成したと考えていました。
単性論の教義
単性論の根本的な教えは、キリストが「一つの本質」を持つという信念です。単性論者は、キリストが完全な神であり、同時に完全な人間でもあるとしながらも、これら二つの本質が一体化し、神性が人性を取り込んで一つの神的本質に変わったと信じていました。その結果、キリストの人間性は完全に神性に融合し、独立した存在としての人間性は消失したとされています。
カルケドン公会議と単性論
451年に開催されたカルケドン公会議は、単性論に対する教会の公式な判断を下すために召集されました。この公会議で、単性論は異端として宣言され、カルケドン信条が採択されました。カルケドン信条は、キリストが「神性と人性の二つの本質を混合することなく、変わることなく、分けることなく保持する」と明確に述べています。
単性論の影響とその後
カルケドン公会議で異端とされたにもかかわらず、単性論はその後も広く支持されました。特に、エジプトやシリア、アルメニアなどで強い支持を受けました。単性論を受け入れなかった者たちは自らを「ミアフィシス派」と呼び、キリストが「一つの本質」(神性と人性が一体化したもの)を持つと信じています。この教義は、今日でもエジプトのコプト正教会やシリア正教会において信仰されています。
単性論は、キリスト教におけるキリスト論の一つであり、キリストが一つの本質(神性)を持つとする教義です。この教義は、カルケドン公会議(451年)で異端とされましたが、その後も広範囲で支持を受け続けました。