共和制の成立と国王の処刑
1792年9月21日、王権の停止と共に、男性普通選挙が行われ、立法議会の代わりに
国民公会という一院制議会が成立します。
国民公会は成立後、共和制を宣言しました。これを
第一共和制と言います。
この時には、立憲君主主義者はいなくなり、議場ではジロンド派と山岳派(ジャコバン派の中心勢力)が激しく対立しました。
派閥間の争いが激しさを増す中、国民公会では国王ルイ16世の裁判が始まります。
裁判の結果、国王は賛成361名、反対360名という差で、処刑が決まりました。
1793年1月21日、ルイ16世はパリの革命広場で国民への敵対行為という罪状でギロチンにかけられました。
このフランスにおけるルイ16世の処刑は、ヨーロッパ諸国の支配層に動揺と恐怖を与えます。
また、フランスの革命軍は国境を超えて、
ベルギーに侵攻するという事件も起こります。
このような状況に対し、立憲君主制の国イギリスの首相
小ピットは、フランスと断交し、
ロシア・オランダ・オーストリア・ポルトガル・サルディーニャとともに、フランスを包囲する
第1回対仏大同盟を結成しました。
対外的な脅威が増す中、国内でも
ヴァンデーの農民反乱が起き、フランスは再び危機に陥ります。