パレスチナとは
パレスチナとは、現在のイスラエル、ヨルダン、レバノン、シリアなどにまたがる地域のことで、カナンとも呼ばれていました。この地域は、世界で最も古い人間の居住地のひとつであり、農業や文明の発祥地のひとつでもあります。紀元前10,000年以前から、メソポタミアから移住したと考えられる狩猟採集民が住んでいましたが、紀元前3300年頃から定住農業を始めました。
紀元前2000年頃からは、青銅器時代に入り、カナン人と呼ばれるセム語系の民族が多数の都市国家を築きました。カナン人は、周辺の文明と交易を行い、特にエジプトとの関係が深かったです。エジプトは、紀元前1570年頃から紀元前1069年頃まで、カナンを支配下に置きました。
紀元前1200年頃からは、鉄器時代に入り、カナンにはさまざまな民族が侵入しました。その中でも有名なのが、イスラエル人とフィリスティ人(ペリシテ人)です。イスラエル人は、聖書によると、モーセに率いられてエジプトから脱出し、ヨシュアに率いられてカナンに侵入したとされます。フィリスティ人は、海の民と呼ばれる未知の民族の一派で、地中海沿岸に定住しました。パレスチナという名前は、フィリスティ人(ペリシテ人)に由来すると考えられています。
イスラエル人とフィリスティ人は、しばしば争いましたが、イスラエル人はやがて二つの王国、イスラエル王国とユダ王国を建てました。これらの王国は、紀元前8世紀から紀元前6世紀にかけて、アッシリア、バビロニア、ペルシアなどの大帝国に征服されました。
紀元前4世紀末には、アレクサンドロス大王がペルシア帝国を滅ぼし、カナンにも進出しました。アレクサンドロスの死後、カナンは彼の後継者たちの争いに巻き込まれました。紀元前2世紀には、ユダヤ人の反乱によってハスモン朝が成立しましたが、やがてローマの影響下に入りました。
紀元前1世紀には、ローマはカナンを直接支配し、ヘロデ大王が王として任命されました。ヘロデは、エルサレムに第二神殿を建設するなど、大規模な建築事業を行いましたが、ユダヤ人の反感を買いました。紀元1世紀には、ユダヤ人の反乱が起こり、ローマはエルサレムと第二神殿を破壊しました。
紀元4世紀には、ローマ帝国がキリスト教を公認し、カナンはキリスト教の聖地として重要な地位を占めるようになりました。しかし、7世紀には、イスラム教の拡大によってカナンはイスラム帝国の支配下に入りました。