古代シリアとは
古代シリアとは、現在のシリア・アラブ共和国の領土とその周辺地域にあたる地域の歴史的呼称です。この地域は、古代から多くの民族や文明が栄え、衰退し、消滅してきた場所であり、メソポタミアやセムのルーツから、ローマやビザンチンの遺産まで、様々な影響を受けてきました。
古代シリアの歴史は、紀元前3千年紀にこの地域で最初の文字が記録されたころから始まります。その頃のシリアは、シュメール人、ミタンニ人、アッシリア人、バビロニア人、エジプト人、ヒッタイト人、カナン人などの支配下にありました。紀元前2千年紀には、フェニキア人と呼ばれるカナン人の一派がシリアの沿岸部を支配し、アムリト、シムラ、アルワド、パルトス、ラミタ、シュクシなどの都市国家を建設しました。フェニキア人は、地中海貿易において重要な役割を果たし、アルファベットの発明やカルタゴの建設などの業績を残しました。
紀元前1千年紀には、シリアはアラム人と呼ばれるセム系の民族によって支配されました。アラム人は、アラム語という言語を広め、アラム文字という文字を発明しました。アラム人の中でも最も有名な王国は、ダマスカスを首都とするアラム・ダマスクであり、イスラエル王国やアッシリア帝国と争いました。また、シリアの北部には、ヒッタイト人の末裔とされるシリア・ヒッタイト人と呼ばれる諸国家が存在しました。これらの国家は、アッシリア帝国やバビロニア帝国によって次々と滅ぼされました。
紀元前6世紀には、シリアはアケメネス朝ペルシアの支配下に入りました。ペルシア人は、シリアをサトラップと呼ばれる行政区画に分け、現地の文化や宗教を尊重しました。紀元前4世紀には、アレクサンドロス大王がシリアを征服し、ギリシア文化が広まりました。アレクサンドロスの死後、シリアはセレウコス朝と呼ばれるヘレニズム王朝の支配下に入りました。セレウコス朝は、アンティオキアを首都とし、シリアをシリア・コエレとシリア・フェニキアに分けました。セレウコス朝は、ローマ帝国やパルティア帝国と争い、紀元前1世紀にはローマに滅ぼされました。
紀元前1世紀から紀元後4世紀にかけて、シリアはローマ帝国の属州となりました。ローマ人は、シリアに多くの都市や道路や水道などのインフラを建設し、シリアの文化や宗教にも影響を与えました。ローマ帝国の分裂後、シリアは東ローマ帝国(ビザンチン帝国)の支配下に入りました。ビザンチン帝国は、シリアにキリスト教を広め、教会や修道院などの建築物を建設しました。しかし、ビザンチン帝国は、ササン朝ペルシアやイスラム帝国との戦争によってシリアを失いました。