徒然草『悲田院の尭蓮上人は』
ここでは徒然草の中の『悲田院の尭蓮上人は』(悲田院の尭蓮上人は、俗姓は三浦の某とかや、双無き武者なり〜)の内容とポイントを記しています。
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徒然草『悲田院の尭蓮上人は』のわかりやすい現代語訳
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徒然草『悲田院の堯蓮上人は』の品詞分解
ポイント・要点
悲田院の尭蓮上人は「発音がなまり、言い方も粗野で、仏教の細かな道理はそれほどわきまえていないのでは」と思われていたのですが、東国の人と都の人の長所と短所をそれぞれ平等にみて鋭く考察し、以外にも柔和な一面があることがわかり、奥ゆかしさを感じられるようになりました。
内容
悲田院の尭蓮上人は俗姓を三浦のなにがしとかいう人で、無双の武者でした。
ある日故郷の人が尭蓮上人を訪ねてきて「東国の人が口にしたことは信頼できますが、都の人は、受け答えだけは感じがよくて、誠実さがありません。」と言います。尭蓮上人は東国出身であり、かつ長年都に住んでいる経験から「都の人は心が優しいためきっぱりと断ることができずに気弱く引き受けてしまい、貧しいが故に不本意ながらも約束を破ってしまう。一方で東国の人は本当は心の優しさがなく、無愛想であり、初めからいやと言ってしまうが、裕福なので人から信頼される。」とその違いを説明しました。
訪ねてきた人は、尭蓮上人のことを「東国出身のこの僧は、発音がなまり、言い方も粗野で、仏教の細かな道理はそれほどわきまえていないのでは」と思っていたのですが、この一言を聞いてからは以外にも柔和な一面があることがわかり、堯蓮上人のことが奥ゆかしく思われるようになったのです。