芸術
芸術分野では1907年(明治40年)以降文部省美術展覧会(文展)が開かれ、日本画では川端玉章・平福百穂・鏑木清方ら美術学校派が活躍しました。いっぽうこれに対抗し
横山大観・下村観山らは、1914年(大正3年)
日本美術院を再興し、川合玉堂・小林古径・前田青邨・安田靫彦らを集め院展を開きました。また京都画壇では竹内栖鳳が活躍しました。洋画では、1912年(大正元年)にフューザン会を結成した岸田劉生がのちに春陽会に加わり人物がの傑作を残しました。また、藤島武二・岡田三郎助・和田英作らの文展に集まった一派に対抗した有島生馬・石井柏亭・山下新太郎らが
二科会をおこし、梅原龍三郎・安井曽太郎らを輩出しました。ほかにも竹久夢二が女性の風俗画を発表しました。彫刻では、平櫛田中・朝倉文夫・石井鶴三らが著名となりました。白樺派の作家でもあった柳宗悦は、民芸の蒐集・再評価に努めました。
演劇では、
歌舞伎・新派劇が大衆化し受け入れられていきました。新劇では、1913年(大正2年)島村抱月が芸術座を結成し、松井須磨子が人気女優となりました。明治末期に東京丸の内に建設された帝国劇場がその舞台で、他にも小山内薫・土方与志が築地小劇場を創立し、新劇が確立しました。また、沢田正二郎は新国劇を始め、大衆演劇として広まっていきました。
明治後期から映画が大衆娯楽として発展し、1910年代から
日活・松竹キネマ・東宝など映画会社が設立されました。1930年代に入ると音声つきのトーキーが流行しました。
音楽では、明治期以来の唱歌とともに、童謡が広く歌われ、
山田耕筰(1886〜1965)・宮城道雄ら作曲家が活躍しました。大正後期にはレコードが販売され、庶民の間で音楽の普及と大衆的な流行歌が広がっていきました。