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17_80 両世界大戦期の日本と世界 / 政党政治の発展と大衆文化の形成

【都市化と大衆化、大正時代の文化】 受験日本史まとめ 69

著者名: Cogito
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都市化の進展

第一次世界大戦後の日本では資本主義が本格的に浸透し、工業化を背景として都市化と大衆化が出現しました。都市への人口集中がはじまり、全国の諸都市では官公庁・公共建築物・会社などを中心に、赤レンガ建築に加え鉄筋コンクリート造のビルディングが建設され、個人宅も洋風の文化住宅が各地に建てられました。都市ではガス・水道設備が普及し、電灯は農村でも用いられるようになりました。

1923年(大正12年)9月1日におこった関東大震災により、東京をはじめとする首都圏では死者・行方不明者14万人、被害世帯69万余、罹災者340万人という甚大な被害を被りました。第2次山本内閣は、後藤新平を復興院総裁に任命し、東京復興計画が進められました。この過程で、江戸情緒はほぼなくなり、東京は新しい都市として生まれ変わり、人口は500万人を超えるまでになりました。

都市間の鉄道路線は全国に広がり、大都市近郊に住宅地が次々誕生し、通勤用の郊外電車が発達しました。郊外電車の各駅には、百貨店(デパート)が開店し、大衆文化の先駆けとなっていきました。乗合自動車(バス)やタクシーも市民生活に欠かせないものとなり、飛行機も定期航空路が開かれました。

都市では、事務職などのサラリーマン(俸給生活者)が大量に出現し、女性も職業婦人として働きました。女性の洋装化もすすみ、モダンガール(モガ)の姿が大都市で見られるようになりました。都市化の発展に伴い、職業紹介法・健康保険法・借地借家法など新しい法制度が成立しました。

大衆文化のはじまりと教育

都市化の進展とともに、大衆文化も発達しました。教育の分野では、1918年(大正7年)に学校教育制度が大きく変わり、大学令の制定により単科大学や公立・私立大学が設置され、高校学校令の改正により7年制の高等学校も設立されるようになりました。さらに、中学校・高等女学校も増設され、学生の人数が大幅に増え、知識層が拡大していきました。義務教育も普及し、1920年(大正9年)には就学率が99%を超え、男女の就学率の格差はなくなりました。文部省の教育統制的な政策に反対する自由教育運動も盛んとなり、その後の昭和期にプロレタリア教育運動へとつながりました。

ジャーナリズム

社会の大衆化が進む中、これを支える役割を果たしたのがジャーナリズムの発達でした。新聞は第一次世界大戦や関東大震災をきっかけに急速に発行部数を伸ばし、大正末期には、『大阪朝日新聞』『大阪毎日新聞』『東京朝日新聞』『東京日日新聞』の4大紙がおよそ100万部に達しました。

総合雑誌としては、『中央公論』『改造』『文藝春秋』などが有名となり、大衆雑誌『キング』などの月刊誌やその他にも週刊誌が出現しました。出版界でも『現代日本文学全集』など1冊1円の円本や岩波文庫などの文庫本が刊行され、低価格な出版物が大量に供給されるようになりました。

1925年(大正14年)からは、新しいメディアとして東京・大阪でラジオ放送がはじまり、翌年放送事業を統合して日本放送協会が設立されました。ラジオ放送はニュース速報やスポーツ実況、標準語の普及に大きな役割を果たし、伝統的なスポーツの相撲に加え、明治時代に伝わった野球が1915年に全国中等学校優勝野球大会(現在の全国高等学校野球大会)の開始により人気が高まり、1912年(明治45年)から国際オリンピック競技会への参加などスポーツへの関心が広まりました。
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『詳説日本史』 山川出版社
『日本史用語集』 山川出版社

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