イヴァン4世
イヴァン4世(在位1533〜1584)は、イヴァン3世の孫にあたる人物で、彼の治世にモスクワ大公国は最盛期を迎えます。
(雷帝イヴァン4世)
彼は、ツァーリの称号を正式に定め、ギリシア正教会の首長を兼ねる政治を開始しました。専制政治は非常に厳しく行われ、これに反対した貴族層は処刑されました。
これら貴族の持っていた領地は、他の貴族や戦士層与えられ、彼らはイヴァン4世の信奉者となります。
また対外的にもカザン=ハン国やアストラ=ハン国などのモンゴル民族を征服し、他方でロシア辺境に住んでいた戦士集団コサックの首領
イェルマークにシベリア地方の開拓を命じ、積極的に領土を拡張していきます。
このように、厳しい統治によって、イヴァン4世は「雷帝」と恐れられ、この恐怖政治のもとで、中央集権化を整え、みずから絶対君主となっていきました。この時代に始まるロシアの専制体制のことをツァーリズムと言います。
ロマノフ王朝
雷帝イヴァン4世のもと最盛期を迎えたモスクワ大公国ですが、彼の死後急速に衰えていきます。
農奴の一部は、国内の混乱と圧政を逃れ、コサックの一団に合流するものも出始めました。
この状況を打開したのが、
ミハイル=ロマノフでした。
(ミハイル=ロマノフ)
彼は1613年に全国会議でツァーリに選ばれると、自らを開祖としてロマノフ王朝を建てます。
ロマノフ王朝は、1917年のロシア革命で打倒されるまで、およそ300年間にわたってロシアを統治することになります。