ペルシア戦争と民主制の関係
ペルシア戦争は、ギリシア世界に大きな衝撃を与えましたが、この戦争をうけて、ポリス社会も大きく変化します。
ペルシア戦争以後、
アテネでは
民主制が発展していきます。民主制は、その名の通り市民が自らの手で政治を動かしていく制度のことです。紀元前508年の
クレイステネスの改革がアテネ民主制の始まりだと言われています。
戦時中、アテネはサラミスの海戦などで海軍力を駆使し、ペルシア軍を撃退しました。
(海軍の主力艦:三段櫂船)
そのため、軍艦の漕ぎ手を担ったアテネの
下層市民(無産市民)は
戦時中多大な貢献を果たしたことになり、参政権を含むさまざまな権利拡大を要求するようになります。
この流れを受けて、ペルシア戦争が終わった際、
アテネは全市民に参政権を与えることにしたのです。
ペリクレスの登場
それまで議会は寡頭派と言われる議員が権力を握っていました。寡頭派というのは、今までどおりに貴族や富裕市民によって独占的に政治を行おうと考えた人々のことで、彼らは参政権の拡大を快く思っていませんでした。
しかし、貴族の中にも民主派の議員が出始め、次第に下層市民の政治参加を促すようになりました。
この流れをうけて登場したのが、
ペリクレス(紀元前495頃〜紀元前429頃)です。
(ペリクレス)