ペリクレスは、アテネの指導者・将軍で、アテネの全盛期を創り上げます。
彼は最初に、アテネ政治における役職や評議員などの選出方法を
くじ引きにしました。これにより、アルコンなどの最高官職ですら、くじの結果によって下層市民でも就任できるようになりました。また、これらに選出された下層市民に対し手当も支給されるようになりました。これは、これまでのアテネの政治を根底から大きく変える出来事でした。
唯一くじで決められなかったのが、ペリクレスの就いていた
将軍職で、将軍はくじではなく、民会で選出されました。ペリクレスはこの将軍職という立場から、さまざまな改革を行います。
ペリクレスの指導によって、民会は、立法・行政・司法における最高機関となり、ここにアテネの民主主義は完成します。
また彼は、建築家
フェイディアスと共に、ペルシアとの戦争によって破壊されたパルテノン神殿など、さまざまな神殿の補修や建設を通じて、アクロポリスを再建しました。
ペリクレスはこの再建事業に、当時アテネがその盟主だったデロス同盟の資金を流用しました。
奴隷制の存在
このように、アテネはペリクレス時代に極めて進歩的な直接民主政を成立させるのですが、この社会制度を担っていたのが、奴隷制です。
この時代、ポリスは奴隷制のもとで成り立っていました。
奴隷は征服された民族や、戦争捕虜、借財によって転落した市民などでしたが、彼らは人間として認められず、家族を持つことも許されない「物言う道具」でした。市民の多くは奴隷と共に農作業や建設作業に勤しみましたが、このような奴隷制に基づく経済基盤が、ポリス社会を支えていました。
アテネの民主制は、このような奴隷制に立脚して実現したのですが、多くの「物言う道具」である奴隷は民主制の範疇の外であるとみなされ、その恩恵をあずかることはできませんでした。