ムガル帝国の盛衰で押さえておきたいポイント
※赤字部分が問題に出そうな部分です。赤色の暗記シートなどで隠して見てください。
ムガル帝国の建国
・
ティムールと
チンギス=ハンの末裔だと言われる
バーブルは、
1526年、インドの
ロディー朝を
パーニーパットの戦いで破り、デリーを占領後
ムガル帝国(1526〜1858)を建国した。この帝国は、インド史上最大のイスラーム国家となった。
・第3代
アクバルは、1558年首都を
アグラに定め、
ジズヤ廃止やラージプート諸国などヒンドゥー勢力との融和をすすめ、
マンサブダール制を制定するなど、ムガル帝国の基礎を作り上げた。第4代
ジャハーンギールもアクバルの政策を踏襲した。
・第5代
シャー=ジャハーンの治世になると、ムガル帝国は
インド=イスラーム文化の最盛期を迎えた。この皇帝は、亡くなった王妃のために
タージ=マハル廟を建造するなど、財政悪化を招き、子アウラングゼーブに幽閉された。
・第6代
アウラングゼーブは、厳格な
スンニ派イスラーム教徒であり、
1679年に
ジズヤを復活させ、シーア派やヒンドゥー教徒を弾圧し、寺院を破壊した。徴税は
ザミンダールというヒンドゥー教徒の領主層がおこなった。アウラングゼーブは積極的な外征を行い、ムガル帝国の
最大版図を実現したが、強行的な政策により
ラージプート族・シク教徒・マラータ族などの反抗が相次ぎ、これら戦費の増大は帝国財政の大きな負担となっていった。
ムガル帝国以外の勢力
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ニザーム王国
ムガル帝国宰相アーサフ=シャーが1724年にデカン高原に建国。これ以降、ムガル帝国から自立する国が相次ぎ、帝国の衰退を招いた。
・
アウド王国
1724年にガンジス川中流に建国。
・
ヴィジャヤナガル
南インドに成立したヒンドゥー王国。交易や商品作物の栽培で栄えたが、イスラーム勢力の攻撃により弱体化した。
・
ラージプート
インド西部の上層カースト集団。アクバルの融和策以降、ムガル帝国と平和的関係を結んでいたが、アウラングゼーブ以降抵抗勢力となった。
・
マラーター王国
アウラングゼーブへの反抗として、1674年にマラーターのシヴァージーが建国。マラーター同盟を周辺諸侯と結んだ。のちにマラーター戦争でイギリスに敗北する。
・
マイソール王国
ヴィジャヤナガル衰退後建国されたが、18世紀半ばにイスラーム勢力、18世紀後半マイソール戦争によってイギリスに敗北し、その支配下におかれた。
・
シク教徒
カビールにより、ヒンドゥーのバクティ信仰とイスラームのスーフィズムの融合がはかられ、その影響をうけたナーナクによってシク教が創始された。シク教徒は団結し、教団の軍事化を進め、ムガル帝国に対抗し、19誠意にはシク王国を建国した。19世紀半ばにシク戦争に敗北し、イギリスの支配下におかれた。
インド=イスラーム文化
・インド=イスラーム文化は、デリー王朝以降両文化が融合し、ムガル帝国期に成立した。
ヒンディー語(現在のインド語)、
ウルドゥー語(現在のパキスタン語)などが用いられ、
ミニアチュール(細密画)から
ムガル絵画や
ラージプート絵画が派生した。
・建築面では、シャー=ジャハーンが后ムムターズ=マハルのために建設した
タージ=マハルが著名である。
・トルコ散文学では、初代皇帝
バーブルが著した『
バーブル=ナーマ』が傑作で、アクバルの廷臣
アブル=ファズルが著した『
アクバル=ナーマ』も著名である。