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18_80 アジア諸地域世界の繁栄と成熟 / ムガル帝国の興隆と衰退

ムガル帝国の盛衰(アクバル、タージ=マハル、アウラングゼーブなど) 受験対策問題 55

著者名: レキシントン
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ムガル帝国の盛衰で押さえておきたいポイント

※赤字部分が問題に出そうな部分です。赤色の暗記シートなどで隠して見てください。

ムガル帝国の建国

ティムールチンギス=ハンの末裔だと言われるバーブルは、1526年、インドのロディー朝パーニーパットの戦いで破り、デリーを占領後ムガル帝国(1526〜1858)を建国した。この帝国は、インド史上最大のイスラーム国家となった。

・第3代アクバルは、1558年首都をアグラに定め、ジズヤ廃止やラージプート諸国などヒンドゥー勢力との融和をすすめ、マンサブダール制を制定するなど、ムガル帝国の基礎を作り上げた。第4代ジャハーンギールもアクバルの政策を踏襲した。

・第5代シャー=ジャハーンの治世になると、ムガル帝国はインド=イスラーム文化の最盛期を迎えた。この皇帝は、亡くなった王妃のためにタージ=マハル廟を建造するなど、財政悪化を招き、子アウラングゼーブに幽閉された。

・第6代アウラングゼーブは、厳格なスンニ派イスラーム教徒であり、1679年にジズヤを復活させ、シーア派やヒンドゥー教徒を弾圧し、寺院を破壊した。徴税はザミンダールというヒンドゥー教徒の領主層がおこなった。アウラングゼーブは積極的な外征を行い、ムガル帝国の最大版図を実現したが、強行的な政策によりラージプート族・シク教徒・マラータ族などの反抗が相次ぎ、これら戦費の増大は帝国財政の大きな負担となっていった。

ムガル帝国以外の勢力

ニザーム王国
ムガル帝国宰相アーサフ=シャーが1724年にデカン高原に建国。これ以降、ムガル帝国から自立する国が相次ぎ、帝国の衰退を招いた。

アウド王国
1724年にガンジス川中流に建国。

ヴィジャヤナガル
南インドに成立したヒンドゥー王国。交易や商品作物の栽培で栄えたが、イスラーム勢力の攻撃により弱体化した。

ラージプート
インド西部の上層カースト集団。アクバルの融和策以降、ムガル帝国と平和的関係を結んでいたが、アウラングゼーブ以降抵抗勢力となった。

マラーター王国
アウラングゼーブへの反抗として、1674年にマラーターのシヴァージーが建国。マラーター同盟を周辺諸侯と結んだ。のちにマラーター戦争でイギリスに敗北する。

マイソール王国
ヴィジャヤナガル衰退後建国されたが、18世紀半ばにイスラーム勢力、18世紀後半マイソール戦争によってイギリスに敗北し、その支配下におかれた。

シク教徒
カビールにより、ヒンドゥーのバクティ信仰とイスラームのスーフィズムの融合がはかられ、その影響をうけたナーナクによってシク教が創始された。シク教徒は団結し、教団の軍事化を進め、ムガル帝国に対抗し、19誠意にはシク王国を建国した。19世紀半ばにシク戦争に敗北し、イギリスの支配下におかれた。

インド=イスラーム文化

・インド=イスラーム文化は、デリー王朝以降両文化が融合し、ムガル帝国期に成立した。ヒンディー語(現在のインド語)、ウルドゥー語(現在のパキスタン語)などが用いられ、ミニアチュール(細密画)からムガル絵画ラージプート絵画が派生した。

・建築面では、シャー=ジャハーンが后ムムターズ=マハルのために建設したタージ=マハルが著名である。

・トルコ散文学では、初代皇帝バーブルが著した『バーブル=ナーマ』が傑作で、アクバルの廷臣アブル=ファズルが著した『アクバル=ナーマ』も著名である。
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・ムガル帝国の盛衰(アクバル、タージ=マハル、アウラングゼーブなど) 受験対策問題 55

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『世界史B 教科書』 山川出版社
『世界史B 用語集』 山川出版社

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