クレイステネスの登場
ペイシストラトスはさまざまな政策を行いましたが、その子供は暴君化したため市民に追放されました。
このあと、紀元前508年になると、貴族から政治家
クレイステネスが登場します。
(クレイステネス)
彼は、貴族がその身分の拠り所だった血縁に基づくグループを解散し、新しく10の部族制(区:デーモス)を立ち上げました。これに伴い、10部族から新たに抽選で選ばれた各50人からなる500人評議会を新しく発足させました。
また、クレイステネスは僭主の出現を防ぐために
オストラシズム(陶片追放)と言われる投票制度を作りました。
これは、オストラコンという陶器のかけらに、危険人物の名前を記入し、投票総数が6000票以上だった人物を、アテネから10年間国外追放するというものでした。
(オストラコン)
このように、平民と貴族の対立や平民の政治参加は、様々な改革者によって次第に実現していきます。