新規登録 ログイン

17_80 近世の社会・文化と国際関係 / 戦国時代・安土桃山時代

【戦国時代のはじまり、明応の政変、戦国大名の登場と分国支配】 受験日本史まとめ 33

著者名: Cogito
Text_level_2
マイリストに追加

分国の支配

戦国大名たちは、戦乱に勝ち抜き領国を安定させなければ支配者として君臨できませんでした。そのため、富国強兵と家臣団統制などの領国支配のために、基本法となる分国法(家法)を制定する戦国大名もいました。この分国法は、御成敗式目などの幕府法や守護法をもとに、喧嘩両成敗法や連座(縁坐)制なども加えられ、地域ごとに異なるものでした。中でも喧嘩両成敗法は喧嘩をしたものを理由を問わず双方を死罪にするなど、紛争解決の手段として決闘や私闘を禁止し、領国内の紛争解決を大名の裁判に委ねることによって、平和と安定を図ろうとしたものでした。こうした法制度は、後に豊臣秀吉の惣無事令に引き継がれていきます。

また、戦国大名は、新たに征服した土地の検地を行いました。自己申告方式の検地を指出検地といい、農民の耕作する土地面積と年貢量が検地帳に登録され、大名の直接支配が強化されました。この検地帳は、同時に軍役の基本台帳にもなりました。

乱世の時代が続くと、戦国大名たちはこぞって武器など大量の物資の生産・調達を競って行いました。この頃、朝鮮や明からの輸入品だった木綿は、武士の衣類や鉄砲の火縄の材料となり、三河など各地で木綿生産が盛んになりました。戦国大名はこうした調達を容易にするため、領国内に分散していた商工業を編成し直し、有力な商工業者を御用商人にし、これらを統制させました。

こうして経済的な基礎を作った戦国大名たちは、居城や城下町の建設、鉱山開発、治水灌漑などを行いました。鉱山開発では、16世紀前半に博多商人神谷寿禎が朝鮮から紹介した「灰吹法」という精錬技術により、全国の金・銀の生産が飛躍的に増加し、越後・佐渡・甲斐の金山、石見・但馬の銀山が著名な鉱山となりました、治水事業では、武田信玄が信玄堤という堤防を作りました。

戦国大名は、城下町を中心とする経済圏を安定化するため、領国内に宿場や伝馬などの交通制度を整え、関所の廃止や市場の開設など商取引を活性化させました。城下町は、政治・経済・文化の中心となり、著名なものとして、朝倉氏の一乗谷(現在の福井市)、北条氏の小田原、今川氏の府中(現在の静岡市)、上杉氏の春日山(現在の上越市)、大内氏の山口、大友氏の府内(現在の大分市)、島津氏の鹿児島などが挙げられます。他にも各地の寺社に門前町が誕生し、伊勢神宮の宇治・山田、信濃善光寺の長野、延暦寺の坂本などが代表的です。また、浄土真宗の勢力の強い地域では、寺院を中心に寺内町が作られ、京都の山科、摂津の石山、加賀の金沢、河内の富田林、大和の今井、和泉の貝塚など代表的です。こうした寺内町の新設の市場や町は、不入権・免税権などの特権を有し、戦国大名も楽市・楽座令を出して、これらの特権を認め、経済活動を盛んにしました。

各地の経済活動が活発になるにつれ、全国各地に港町や宿場町ができ、堺や博多などの港町や、日明貿易で栄えた薩摩の坊津、瀬戸内海水運の尾道・兵庫、京都の西日本の揚陸港の淀・山崎、同じく東日本の揚陸港だった琵琶湖畔の坂本・大津、日本海水運の基地となった小浜・敦賀、蝦夷地交易の津軽の十三湊、太平洋沿岸の桑名・大湊・江尻・神奈河・品河などがありました。この中でも、日明貿易で栄えた堺・博多・摂津の平野・伊勢の桑名・大湊などは自治都市として栄えました。堺は36人の会合衆、博多は12人の年行司という豪商の合議により市政が運営されていました。

古都京都にも、都市民の自治体団体である町が生まれました。町はそれぞれ独自の町法(町掟)を作り、いくつかの町が集まって町組が作られました。応仁の乱により荒廃した京都は、こうした裕福な町衆により再建され、祇園社(八坂神社)の祇園祭(祇園会)も復興しました。
1ページへ戻る
前のページを読む
2/3
次のページを読む

Tunagari_title
・【戦国時代のはじまり、明応の政変、戦国大名の登場と分国支配】 受験日本史まとめ 33

Related_title
もっと見る 

Keyword_title

Reference_title
『詳説日本史』 山川出版社
『日本史用語集』 山川出版社

この科目でよく読まれている関連書籍

このテキストを評価してください。

※テキストの内容に関しては、ご自身の責任のもとご判断頂きますようお願い致します。

 

テキストの詳細
 閲覧数 28,407 pt 
 役に立った数 3 pt 
 う〜ん数 0 pt 
 マイリスト数 0 pt 

知りたいことを検索!

まとめ
このテキストのまとめは存在しません。